【黄金世代】第2回・遠藤保仁「コロコロPKの真実」(♯3)

これで楽しくないヤツおんのかな? ってサッカーをしてた。

 西野朗監督が率いるガンバは、まさに(攻撃面においては)和製バルセロナだった。

圧倒的なスピードでパスを回して敵のディフェンス網にギャップを生み、稀代のパサーや超絶ストライカーたちがオートマチックに連携し、確実にフィニッシュまで持ち込む。チーム全体が前がかりとなるため、致命的なカウンターを食らう場面が多く、守備はお世辞にも堅いとは言えなかったが、日本サッカーが世界に誇る娯楽性を備えていた。

2008年、AFCチャンピオンズ・リーグを制してクラブワールドカップに臨み、準決勝でマンチェスター・ユナイテッドと対峙。スコアは3-5と木っ端みじんに打ち砕かれたが、古今東西指折りの名門を相手に真っ向勝負を挑んだ姿は、感動的ですらあった。

試合後にユナイテッドの“伝説”ライアン・ギグスは、「正直、(ガンバが)あそこまでアグレッシブなスタイルで来るとは予想してなかったから驚いたよ。印象的だったのは7番(遠藤)と30番(山崎雅人)だ」と話してくれた。

チームの中心にいたのは、いつもヤットだった。

「とにかく西野さんには自由にやらせてもらってた。自由なぶん、勝つためにはどうしたらいいのかを自分でよくよく考えなアカンかったけど、それが俺には良かったのかもしれない。チームの全員がいいものを出し合って、楽しく勝つ、が浸透していた。取られても取り返せばいいでしょって。1-0より5-4で勝ったほうが楽しいからね」

もっとも印象深いシーズンはどれか。初めてリーグ優勝を飾った2005年か、ACL優勝を果たしてユナイテッドと渡り合った2008年か、それとも、降格の屈辱から這い上がり、昇格1年目でトレブル(3冠)を達成した2014年か。

いずれも違う。ヤットらしい深みのある答が返ってきた。

「2004年かな。それもシーズン後半。これは楽しくなっていくぞってのが見えて、その過程が楽しくてしょうがなかった。ちょうど(ターゲットマンだった)マグロンが退団して、地上戦で行くしかなくなった。スタイルががらっと変わってね。したら、繋げる選手がじつはたくさんいて、パスもめちゃくちゃ回り出して。とにかく攻撃的。これで楽しくないヤツおんのかな? ってサッカーをしてたから。

パスサッカーええやんと、手ごたえをがっちり掴んだ瞬間。ジュビロとかアントラーズの黄金期がまだ続いてた時期で、そうした相手とも対等に戦えたのが嬉しかったし、自分が中心になりつつあって、俺次第じゃないかと思うようになったのもあの年から。

たしかに2005年の優勝はむちゃくちゃ感動したけど、あれもまだ成長過程の時期やった。3冠だったりACLを獲ったシーズンもあったから意外かもしれないけど、思い出深いとなると、2004年の後半戦なんだよね」

俺の中での最強は違う。地味やけど、ファビーニョ。

 在籍期間に苦楽をともにした外国籍選手は数知れない。鮮烈な記憶として残っているのはやはり、遠藤自身のラストパスに呼応してゴールラッシュを決め込んだ一線級のストライカーたちだ。

アラウージョ、マグノ・アウベス、パトリックのいずれかが有力候補で、タイトル奪取の貢献度で推し量るなら、ルーカスかシジクレイも妥当な線。常人離れした思考回路を持つ遠藤だけに、大穴として技巧派のマルセリーニョ・カリオカあたりまでを想定していたが、どれもこれも不正解だった。

「たしかに普通に考えれば、アラウージョかマグノになるんかな。あの決定力は尋常じゃなかったし、チームを勝利に導いたってところではあのふたりのどっちかやと思うよ。でも、俺の中での最強は違う。地味やけど、ファビーニョ」

一瞬、頭の中が「???」となったが、遠藤の「ほら、小柄で10番着けてたブラジル人」という一言で思い出した。

西野政権の1年目に、1シーズンだけ在籍したボランチだ。ちなみにその翌年から二川孝広が彼の後を継いでガンバの10番を背負うわけだが、またなんでファビーニョがナンバーワンなのだろうか。

「あんましみんな覚えてないかもしれんけど、俺的にはファビーニョ。まさにね、ザ・ブラジル人ボランチ。ボールをガンガン狩れるし、とにかく無駄がなくて、ミスが少ないうえに、シンプルなことしかしない。で、ボールを奪ったら速攻でボールをくれる。プレーが分かりやすくて正確だから、一緒にダブルボランチを組んでてすごくやりやすかった。このタイミングで渡すの? とか、まったくなかったからね」

2001年シーズン、京都から移籍してきた遠藤の相棒は、稲本潤一だった。強力デュオを形成して立ちどころにチームの屋台骨となったが、イナは半年でアーセナルへと旅立ち、シーズン後半はベストパートナー不在のまま、悪戦苦闘を余儀なくされた。

やがて西野体制となり、入団してきたのが守備職人のファビーニョだ。完全な汗かき役として振る舞い、遠藤の攻撃性能を最大限に引き出した。

ガンバがいよいよヤットのチームになる、その礎を築いたのが2002年シーズン。本人は口にしなかったものの、言うなればファビーニョは“恩人”なのである。

「俺が守ってやるから好きにしろって感じやったね。思い切り自由にプレーさせてもらった。かなり意外でしょうけど、俺にとってはファビーニョが一番。まるで10番っぽくなかったけどね」

わずか1シーズンの在籍ながら、2005年シーズンに記録にも記憶にも残る大車輪の活躍を見せたアラウージョのように、遠藤にとってファビーニョは、万博に1年だけ舞い降りた天使だったのかもしれない。

ボールを奪う喜びを感じてる。新たな発見やね。

 こんな質問をしてみた。

フットボーラー・遠藤保仁の最大の武器とはなんなのか。

パス、FK&PK、視野の広さ、ゲームを読む眼、それとも無尽蔵のスタミナ? またしても回答は、微妙にズレていた。

「それはもう、ブレイン(脳)でしょ。身体能力がないから、そこで勝負するしかない。なんだかんだで最終的に辿りつくのは、止めて、蹴るのところ。どんなプレッシャーを受けても、どんなに狭いエリアでも、そこ。そこで普段と同じことができれば、あとは判断のスピードとか状況把握の質。つまり、ブレインが大事になってくる」

そんな理論派の遠藤が、37歳にして新境地を開いた。

現在のガンバは4-4-2を第1システムとして再び調子を上げているが、今季の序盤戦は3-1-4-2を多用。ヤットはやや守備に比重を置くアンカーの役割を託されたのだ。同じ一枚でも、攻撃的に振る舞えたワールドユースでのそれとは大違いである。

「言ってみれば(バルセロナの)ブスケッツと一緒。敵陣のボックス内には入っていかないからね、滅多に。とにかく守備の時に走る距離が長くなって、戻ったりとか、相手に付いて行ったりとか、リアクションが多い。誰かがカバーしてくれれば前に行ってもいいんだけど、基本的には我慢してる。控えてる」

その新たな役回りに、新鮮さと楽しさを感じているという。

「このポジションでやってあらためて、ビルドアップの大切さであったり、守備の喜び、ボールを奪う喜びとか、そういうのを感じてる。来たね、面白いよ。身体に刺激が来る。

昔は常に、ダブルボランチでやってても一枚残して俺が攻めるってのがあったけど、前に出るのが少なくなったぶん、ボールを狩りに行くパワーを残せてるわけで、身体の動きも違うもんね。イメージしてるところで身体が付いてくるときと、そうでないときがあるんだけど、昔なら絶対に出なかったところで、最後の一歩が出るようになった。進化? いや、これは進化じゃない。新たな発見やね」

長いキャリアのなかで、シーズンの大半を棒に振るような大怪我をしたことがない。無事、これ名馬。身体のケアを大切にしてきた賜物だ。

「科学的に落ちてきてるところって確実にあるし、そこを否定するつもりはない。でもいまでも走行距離はチームでも上のほうやし、負けたくない部分。体幹はけっこう意識してやってきて、バランス感覚を養いつつ、吹っ飛ばされない身体を作ろうと思って取り組んできた。大きくするんじゃなくて、芯を太くするトレーニング。その積み重ねだと思う」

体幹トレーニングと言えば長友佑都が著書もあり有名だが、勝るとも劣らない知識があると?

「いや、それは長友のほうがだんぜん詳しい(笑)。体幹マニアやからね」

(コロコロPKより)もっと確実なのを見つけたから。

 遠藤保仁の名を日本国内だけでなく世界的に知らしめたのが、特異なPK技術、いわゆる「コロコロPK」である。

相手GKの動きをぎりぎりまで見定め、ものの見事に逆を突き、低速のゴロシュートで流し込む──。日本代表の海外遠征でも披露し、世界中で話題になった。

大昔の1986年、メキシコ・ワールドカップでデンマーク代表のMFイェスパー・オルセンが似たようなPKを蹴っていた。「こんなの見たことない!」と興奮したものだが、あらためて当時の映像を見てみると、遠藤のコロコロよりうんと高速だった。

誰の真似もしていないと、ヤットが誕生秘話を明かす。

「なーんも参考にはしてない。まったく。完全な思い付きよ。きっかけは普通の練習だったかな。キーパーの体重のかかったほうにボールを蹴ったら、まず足は出ないでしょ? それの逆やん、どんだけコースが甘くても、動いたほうと逆に蹴ったら入るやんと。ほぼほぼ外さんかったね」

ところがある日を境に、パタッと蹴らなくなった。成功率が下がったわけでもなく、世間が騒ぎすぎたからでもない。

「なんかね、途中で飽きた(笑)。というより、もっと確実なのを見つけたから。キーパーの手が届かないサイドネットにスピードのあるボールを蹴れば、たいがい止められへんという境地に至った。もうそうなるとキーパー云々じゃないよ。どう動こうが関係ない。ズドンと行けばいいだけやから。最近は基本的にずっとそれ。そこに蹴れる技術と自信がないと、できないけどね」

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