“ガンバらしい攻撃”は消えたのか。長谷川健太体制、5年間の栄光と影。

全ての時代には、その始まりと終わりがある。

ガンバ大阪では10年間指揮を執った西野朗元監督(現日本サッカー協会技術委員長)に次ぐ長期政権を築き上げた長谷川健太監督。クラブ史上初めてJ2に降格した2013年に就任し、1年でチームを再びJ1に引き上げたかつてのシルバーコレクターは、昇格1年目に三冠を獲得した。日本サッカー史に残る偉業を成し遂げた長谷川監督だったが、クラブは9月7日、5年間指揮を執った名将が今季限りで退任すると発表した。

山内隆司社長の言葉を借りればガンバ大阪を「卒業」する格好の長谷川監督だが、その5年間の功績はやはり、際立っていると言えるだろう。

クラブの歴史における長谷川監督の立ち位置は「中興の祖」である。退任が発表された翌日、クラブハウスで取材に応じた梶居勝志強化部長の言葉は、その功績を端的に物語るものだった。

「長谷川監督は一番チームが苦しい時に来て頂いて、我々が望んでいたチーム作りを実際にやってもらい、結果も出してもらった偉大な監督」

「失点を減らしながら勝つことを目指した」(遠藤)

 ガンバ大阪がクラブ史上最大の危機に瀕していた2012年の降格直後、梶居強化部長に請われて、あえてJ2を戦うことになるガンバ大阪の監督に就任した。リーグ最多の67得点を叩き出しながらも、リーグワースト2位となる失点の多さに泣き、降格の憂き目を見たチームの課題は、明確だった。

「取られたら、取り返す」をモットーに打ち合いを好んだ西野元監督の哲学がしみ込んだガンバ大阪に、長谷川監督が持ち込んだのは守備意識の徹底をベースにした勝負強いサッカーだ。

監督とのサッカー観は異なると公言してはばからない遠藤保仁でさえも、「失点を減らしながら勝つというのを目指していたと思うし、ここ数年で一番タイトルを獲ったチーム。今年は苦しんだけど、これだけタイトルをもたらすことはなかなか難しい」とその足取りを振り返る。

指揮官が一貫して要求した「ファストブレイク」。

 もっとも、指揮官が目指したのは単なる守備的なサッカーではない。就任から一貫して要求して来たのは「ファストブレイク(速攻)」である。

退任が決まった直後、自身がガンバ大阪にもたらした新たなエッセンスを問われた長谷川監督は「切り替えの部分は凄く速くなった。奪ってから速く攻める、という速攻がかつてのガンバにはなかったので、そういうのは増えたと思う」と胸を張ってみせた。

就任1年目のJ2リーグ優勝を皮切りに、昇格後に得た優勝は4回で、準優勝は3回。一度は降格の憂き目を見たガンバ大阪を、再び常勝軍団として復権させたのは、最大の功績と言っていいだろう。

日頃のミニゲームから勝ちにこだわれ、という思想。

 西の常勝軍団として復権を果たすことになった2014年11月のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝では、サンフレッチェ広島に一時は2点を先行される苦しい展開ながら「1年に何回かは打ち合う試合があってもいい」と公言した通り、3-2とナビスコカップ決勝の歴史で初めて2点のビハインドをひっくり返す逆転優勝を果たした。

「日頃のミニゲームからあそこまで『勝ちにこだわれ』と言う監督は初めて」と丹羽大輝(現広島)が驚いた勝利への執着心を植え付けられた選手たちは、苦しい時間帯で「ファストブレイク」を発動させるタフさを身につけていた。

同じく11月の32節・浦和レッズ戦では引き分けでも逆転優勝の望みがほぼ絶たれる崖っぷちに立たされていたが、後半43分に自陣からのロングカウンターで浦和レッズの隙に付け込み、佐藤晃大(現徳島ヴォルティス)が先制点をゲット。そしてアディショナルタイムには倉田秋がとどめのシュートを突き刺した。技巧派が繰り出す長短のカウンターの破壊力は、間違いなく長谷川ガンバの真骨頂だった。

井手口、今野、倉田がハリル体制で活躍する素地が。

 守備意識の徹底と同時に、指揮官が常にこだわり続けて来たのは「切り替えの速さ」と「球際の強さ」。縦に速いサッカーを求めるヴァイッド・ハリルホジッチ監督が率いる日本代表にも数々の選手を送り出し、ワールドカップのアジア最終予選で井手口陽介や倉田秋、今野泰幸らがピッチに立ったのは、日々の指導の副産物でもある。

「僕を代表にまで押し上げてくれた監督なのでもっと長く一緒にやりたかった」と倉田が言えば、井手口も「今のプレースタイルは健太さんが言い続けてくれたからこそ、出来た」と感謝を口にする。

数々の栄冠と新たな代表選手たち――。長谷川体制の確かな結果だ。

「ガンバらしい崩し」は今のスタイルではない。

 しかし、全ての時代には、その光と影がある。

ハードワーカーと堅守に支えられた一昨年までの勝負強いサッカーは、ややもするとリアクションで力を発揮するサッカーだった。

現実主義者に率いられた大阪の雄は、クラブが本来、目指し続けて来た攻撃サッカーをいつしか失ってしまっていた。

近年、ガンバ大阪のテレビ中継で「ガンバらしい崩し」「ガンバならではのパスワーク」などと口にする解説者は、その戦いぶりをほぼ見ていないことを公にしているようなものである。

西野元監督が率いた当時は、遠藤や二川孝広(現東京ヴェルディ)を軸にパスサッカーを志向したガンバ大阪だが、長谷川監督が作り上げたのは個々のハードワークに基づく「ランサッカー」である。

8月5日にアウェイでヴァンフォーレ甲府に0-1で敗れた後、東口順昭が口にしていた言葉は実に興味深く、そして端的にチームの今のスタイルを説明してくれるものだった。

「勝ったセレッソ戦みたいに、今のガンバはボールを回してというよりも、やっぱり走ってエンジンがかかるチームだと思う。攻守においてアグレッシブに、(井手口)陽介や今ちゃん(今野)が前に出て行ったり、(倉田)秋が攻撃でも守備でもハードワークしたりすることで、エンジンがかかってくる」

「ランサッカー」の消耗を感じさせた2年連続無冠。

 2年連続の無冠に終わった今季、チームが「ランサッカー」に徹した4月21日の大宮アルディージャ戦では鋭いショートカウンターからゴールを量産し、6-0で圧勝。連勝を飾った4月30日の横浜F.マリノス戦でも長い距離を走り抜いた堂安律(現フローニンゲン)が決勝ゴールを叩き出していた。

皮肉にもこの2試合で遠藤は先発から外れ、横浜F・マリノス戦ではルーキーイヤー以来19年ぶりに、ピッチに出ることなくタイムアップの笛を聞いていたのだ。

もっとも、「ランサッカー」は無敵ではない。

「甲府戦では持たされた感じで前半が終わってしまった。そういう対応をしてくるチームもあるので、僕らは違うエンジンの掛け方というのをもっと学んでいかないと」(東口)

引いた相手を崩し切る策を持たず、昨年同様、前線で絶対的な得点源を見いだしきれなかったガンバ大阪は、リアクションサッカーの限界を露呈。2年連続の無冠は、単なる歯車の狂いがもたらしたものでは決してなかった。

4つのタイトルを得た一方で、失ったかつての攻撃性。しかし5年間の長期政権の総決算が黒字だったのは間違いない。

遠藤は言った。

「タイトルを獲りたくても獲れないチームもある中で、自分たちが4回獲れたのは監督が来てから。残したものは大きい」

長谷川監督とともにガンバ大阪は復権を果たし、ガンバ大阪とともにシルバーコレクターは勝てる監督へと成長した。今季は無冠で終わったことでハッピーエンドにはならなかったが、歓喜あり、涙ありの5年間は濃密な日々だった。

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