日本代表新監督・西野朗はいかにして、ガンバ大阪を強豪に鍛え上げたのか

「Jリーグ史上最強のオートマチズム」を確立

 日韓共催のワールドカップ開幕を5か月後に控えた2002年1月、ダンディズムの塊のような新指揮官が万博の地を踏んだ。

その第1声を聞き、鳥肌が立ったのをいまでも覚えている。

「なぜこのチームが勝てないのか。それを考えた時に、ぬるま湯に浸かっている意識やムードが一番の原因なのかなと思う。根本的に変えていかないと上には立てない」

ガンバ大阪の新監督に就任した、西野朗氏である。よく見ている、核心を突いていると感心した。

正直、バイオリズムがまったく読めない。そこはストライカー出身だけあって独創的で、頑固で、サッカー哲学にも尋常ではないこだわりがある。下手な質問をすれば「なんだよそれ」とそっぽを向かれてしまう。一方でたまに的を得ると、「よく分かってるね」と少しだけ真っ白な歯を見せ、微笑みを投げかけてくれる。そこにちょっとした達成感があるもので、チャンスさえあればポーカーフェイスの指揮官に挑んでいた。選手たちとは一線を引き、いっさい慣れ合わない。メディアに対しても同様だった。

西野イズムの真髄は、圧倒的なボールポゼッションを軸とした破壊的な攻撃にあると思われがちだ。ガンバ黄金期のスタート地点から取材していた筆者にとっては、少し捉え方が異なる。当初はソリッドな守備をベースにしたリアクション型だったし、マグロンという超長身CFをターゲットにしたダイレクト志向の強いスタイルを追求した時期もある。ヨハン・クライフの信望者で、「バルセロナみたいなサッカーが理想」と話してはいたが、手元の駒を最大限に活用するのが西野流チーム作りのベースだ。

ガンバが誇る、キラ星のごときアカデミー出身者との相性も抜群だった。タスクを与えればオリジナリティーを加えてしっかり応える宮本恒靖、橋本英郎、二川孝広、大黒将志らを積極登用し、言わば外様の遠藤保仁と山口智を攻守の軸に指名。そこにシジクレイ、アラウージョ、フェルナンジーニョ、マグノ・アウベス、バレーといった優良助っ人と、松波正信、木場昌雄、實好礼忠らベテランを上手く溶け込ませながら、最適解を模索し続けた。

自身のフィロソフィーにそぐわなければ、どんな主力選手でも試合で使わない。衝突して退団した選手はひとりやふたりではない。だがその非情なアプローチを貫き通したからこそ、「Jリーグ史上最強のオートマチズム」を確立できたのだろう。個と個を天性の感覚で繋ぎ合わせ、化学反応を起こし、洗練された技巧派集団へと変貌させた。

「圧倒して上回れ。相手より、まず自分たちだ」

 必要以上に選手とコミュニケーションは取らないが、普段からじっくり観察していて、キャラクターによって接し方を変えていた。キャンプ中やアウェー滞在先のホテルでチーム全員が食事をしている際は、早めに会場に現われて個々がなにを口にするのか、どんな選手と話しているのか、表情はどうなのかをチラチラとチェック。実にさりげない。だから、選手たちには気づかれない。

そうした行動を日課にしているから、投げかける言葉は中身もタイミングも絶妙だ。調子を落とす二川に「ガンバだけじゃなく日本を代表する10番になれ」と発破をかければ、壁にぶち当たっていた家長昭博には「トップパフォーマンスで言えばお前はメッシより上だ」と背中を押した。バルサを筆頭に海外サッカーもよく研究し、「世界を目ざせと選手たちに言い聞かせている指導者がドメスティックじゃダメだよね」と、話してくれたこともある。

途轍もなく懐の深い指揮官と、水を得た魚のごとくピッチ上で躍動した才能たち。4点取られても5点を奪い取る破天荒なサッカーはこうして磨かれ、2005年のJ1初制覇を皮切りに、黄金期に突入していった。西野さんがこんな話をしていたのを思い出す。

「僕がやりたいサッカーは当然あるんだけど、それを彼らがピッチの上で上手くアレンジしながら、独自の形を磨いていったよね。いつもこう言っていた。『圧倒して上回れ。相手より、まず自分たちだ』と。自分たちのサッカーさえ貫ければ、どこにも負けないチームになっていたから」

ただ、就任から7年目、8年目と長期政権が継続されると、求心力の低下は避けられなかった。あまりガンバの取材をしたことがない記者さんが、万博での練習を見てこう訊いてきたことがある。「ガンバっていつもこんなに練習が緩いの?」と。言われてみれば、たしかに。成熟し切ったチームはすでに大胆な変化を必要としておらず、刺激も乏しい。気づけばルーティーンをこなすばかりの“ぬるま湯”に浸かっていたのだ。

西野体制が終焉を迎えた翌年、ガンバはJ2に降格した。

本来なら10年前に就くべきだったポジションに──

 4月9日、西野さんは日本代表新監督に指名された。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を受け、ワールドカップ本番まで66日というタイミングでの電撃就任だ。はたして大丈夫なのかと、懐疑的な意見が大勢を占めている。

個人的には、なんとなくイメージができている。新指揮官は技術委員長としてつねにハリルホジッチ前監督に付き添っていたわけで、その強化プランや選手選考の価値観、戦術への落とし込みなどを観察してきた。意見を求められたこともあるだろう。そのたびに、自身の哲学との擦り合わせを2年近くやってきているのだ。無意識にも、なにかしらの理想形があったのではないか。

ガンバ時代のように慌てず騒がず、言い訳をせず、粛々と難解なタスクに立ち向かうはずだ。これからの2か月でなにができるのかを逆算できるクレバーな人物である。ひとまずはチームを前に進めるための最適解を探り当てるだろう。

去年の夏、宮城で開催されたインターハイの会場に、日本サッカー協会・技術委員長の姿があった。数年ぶりに再会した私の“恩師”は、すべてのキバが抜け落ちていた。立場がひとを変えたのだろう、実にスマイリーで社交的で、挨拶にやってくる全国の指導者の方々とわいわい談笑している。それはそれで、第一線から退いて裏方に回るなか、ひとつの充実感を覚えているようだった。

だが、名将はふたたび戦場に引き戻された。本来なら10年前に就くべきだったポジションに、思いがけずに──。

あのギラギラした、威圧感たっぷりの眼光は蘇るのか。木曜日の就任会見では、まずそこに注目したい。

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