宇佐美貴史が計5年間の海外挑戦で受け止めた現実 「堂々と、2度目もダメでしたと胸を張れる」理由とは?

個々の強力な点と点を、 結びつけて線にしていく。 それができれば…。
「2度目のチャレンジもダメだった」と宇佐美貴史は潔く言う。ただ、後悔はない。11年にバイエルンへ、16年にアウクスブルクへと移籍し、そこで自身の弱さは知れた。活躍できなかった現実を受け入れ、「自分らしくプレーしたい」と気持ちが湧き出てきたタイミングで、声をかけてくれたのがG大阪だった。いわば相思相愛の古巣で、27歳のアタッカーは完全復活に向けての青写真をどのようにイメージしているのか。
――ガンバ大阪への復帰が決まり、練習に合流されて少し時間が経ちました。久しぶりの「古巣」でどんなことを感じていますか?[編集部・注/6月24日にアウクスブルク(ドイツ)からG大阪へ完全移籍が決定。インタビューは7月2日に実施]

「練習に合流して一週間ですが、正直、ホンマに帰ってきた実感がまだありません(笑)。ドイツから戻って、ガンバの練習場でずっと自主トレをさせてもらっていたんですけど、今はまだその延長のような、すごく変な感覚が続いています。以前に在籍していた時に仲良くしていた選手もほぼいなくなり、知っている顔の方が少なくなったし、どちらかというと敬語で話さなければいけない選手が減ったのも新鮮です」

――後輩が増えたということですね。

「そう。でもみんな良い子ばかりで可愛いです……ってことを言っている時点で年齢を感じます(笑)。あと、総体的なことを言えば、チームがめちゃ静か!! ロッカールームが広すぎてお互いに距離があるからだと思うんですけど、それぞれが静かに準備して練習に入り、その流れで練習も黙々とやっている印象です。なので、コミュニケーションを多く取ろうとすると返って浮いてしまうような雰囲気もあります」

――それは良いことでしょうか。あるいは、変化が必要でしょうか?

「どうなんでしょう!? まだ加入して一週間なので何とも言えないし、そもそも僕も練習中は黙々とやりたい方ですしね。なので、そこを意識的に変えようと思わないけど、自分のペースで話したいことを話し、取りたいと思うコミュニケーションを取っていくことで、意図しなくてもチームに笑顔が増えていけばいいなと思っています」

――帰国後は何度かガンバの試合を観戦されていますが、そのなかで今のガンバの戦いに
はどんなことを感じましたか?

「堅く守り、粘り強く戦って攻撃チャンスを見出している印象です。ただ、仕掛けの部分では、ボールを保持しながらも、あと1~2テンポ早いタイミングでパスが出せれば、とか、敵をもうひとり剥がせたら、というシーンが多い気がする。それがあれば、前線の(ファン・)ウィジョやアデミウソンら、強力な前線をもっと上手く活かせるだろうなと感じました。と同時に、その役割は自分がやりたいプレーともリンクします。だからこそ、個々の強力な点と点を結びつけて線にしていく役割は担っていきたいし、それができれば、もっとチームは活性化して、得点や勝利に直結していくんじゃないかと思います」

――Jリーグに登録できるまでは試合に出場できません。最短で出場可能になる7月20日の名古屋戦までに練習でどんな準備をしていこうと考えていますか?

「今は練習で紅白戦をしても、サブ組に入って先発組と対戦することが多いですが、その時にツネさん(宮本恒靖監督)が先発組に言っていることや、求めている役割を僕なりにしっかりと聞いて、イメージしながらプレーしているので、それを積み重ねていくだけかな、と。また知らない顔が増えたなかでは当然、仲間の特長を頭に入れつつ、自分のプレーも知ってもらわないといけないので、そこを合わせていく作業を突き詰めていきたい。フィジカル的にはドイツから帰国後、ほぼ休まずに動いてきたのでそれなりに高まっていますが、そこにプラスアルファの負荷をかけて、より研ぎ澄ませていきたいと思っています」

変化を求めなければ、自分が終わってしまう危機感もあった
――ドイツでの挑戦について伺います。16年夏にアウクスブルクに移籍して2度目となる海外にチャレンジし、3シーズンを過ごしました。この期間にはどんな収穫を得たのでしょうか?[編集部・注/初の海外挑戦は11年7月のバイエルン移籍。12年5月にはホッフェンハイムに加入し、13年6月にG大阪へ復帰した]

「総合的な収穫としては……自分のなかでは『2度目のチャレンジもダメだったな』って思っていることかな(笑)。正直、前回も、今回もネガティブになる瞬間や自信を失いかけることもたくさんあったし、自分のスタイルに合うチームに身を置く大切さも痛感しました。ただ、自分に合わないチームに行ったからこそ得たものもたくさんあったのも正直なところです。自分の居場所を確保する重要性を知って、そこに向けた働きかけをするとか、チームのために献身的にプレーするとか、しっかりファイトするとか。経験しなければ感じとれない、なりえないメンタルの状態は間違いなくあって、それは僕にとって意味があるものでした。それに、もともとの性格的に『井の中の蛙』でいたくなかったからこそ海外移籍を選んだわけで、何も行動せずに過ごすより、そこで打ちのめされるほうが自分らしくていい。だから『日本では活躍できたけど、ヨーロッパでは全然アカンかったやん』と言われてもまったく気にならないというか……。それを恐れるくらいなら海外に2回もチャレンジしなかったですしね。それもあって清々しいくらい堂々と、2度目もダメでしたと胸を張れる自分がいます」

――ドイツでの5年間では身体の変化を求めるために、食事やトレーニングでもたくさんのチャレンジをされていました。それらも自身の力になっていると感じますか?

「自分でも恐ろしいくらい、いろんなことにチャレンジしましたからね(笑)。良いとされることは、ほぼすべてやりきったはずです。でも、それができたのも、『良くない自分』が見えたからだと思うんです。日本にいたら『これでいい』と思っていたものが『これじゃ無理』になるのが海外で、時にマインドや言葉といった、人としての中身から変えなければプレーできないところに身を置くから見えたことも絶対にある。そう考えると、良い意味で自分の粗探しができる時間だったし、自分の知らなかった自分の弱さにも直面し、それを変えていく作業は……苦戦しながらも楽しくもありました」

――3度目の海外挑戦は、頭にありますか?

「今、この瞬間はないです。ガンバに戻って一週間で、『海外移籍をしたい』はないでしょ(笑)!? それよりも今は、ガンバで個人としてもチームとしてもさらなる高みを目指してやっていくことしか頭にない。ただ、これは海外への挑戦を諦めたわけでも、自分の可能性を閉ざしたわけでもありません。ガンバで必要とされ続ける選手を目指しながらも、自分の欲や理想をもっと大きくするために、何事にも自分から諦める選択はしたくない。つまり、今この瞬間は頭にないけど、今後は両方を頭に据えると思います」

――日本代表への欲という部分ではいかがでしょうか?

「昨年のロシア・ワールドカップで本当に悔しい経験をしたからこそ、2022年のカタール大会を目指すイメージは強く持っています。というか、それに近づくために、自分らしく攻撃のイメージやアイデアが湧き出てくるような感覚でプレーしたいと思い、ガンバへの復帰を決めました。これはドイツで体感したサッカーを否定するものではありません。現実的にブンデスリーガで残留を争うレベルのチームが守勢に戦うのは当然で、そこから学べたこともたくさんあります。でも、自分の一番のストロングポイントを出せずに戦えないストレスも確かにあり、そのまま変化を求めなければ、自分が終わってしまう危機感もあった。というなかでガンバのサッカーを見た時、粘り強く戦いながらもボールは回っているし、そこに自分のアイデアやイメージを落とし込むことができれば、もっと躍動感をもってプレーできるだろうなとイメージできた。そうしてストロングポイントで勝負しながら、ドイツでやっていたような泥臭いプレーも続けていければ、3年後に必ずチャンスはあると思っています」

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