森下仁志に衝撃与えた岡田武史の衝撃的な監督術とは

ガンバ大阪U-23(23歳以下)監督の森下仁志(47)はこの12月、欧州へ指導者短期留学に旅立つ。G大阪のオフを利用した個人的な渡欧だ。行き先は、すべて教え子が在籍するハーツ(スコットランド)、トウェンテ(オランダ)、フランクフルト(ドイツ)。

ハーツには今夏、G大阪からマンチェスターCを経て移籍したFW食野(めしの)亮太郎(21)が、トウェンテには同様にG大阪から渡ったFW中村敬斗(19)が、フランクフルトにはサガン鳥栖監督時代に主力に定着させたMF鎌田大地(23)がいる。各世代の日本代表に育った教え子の協力で、各クラブの練習見学や試合観戦を行う予定という。

「多くの情報が入ってくる時代で、若い子の目線がどんどん広がっている。僕らも勉強して自分を律していかないと選手に何も言えない。むしろ仕事ではなく、当たり前のことだと思っています」

多くの出会いが指導者の道を追求させた。06年からのジュビロ磐田ユースコーチ時代には、同ユース監督だった内山篤(60)から薫陶を受けた。「理論的かつ緻密。指導のベースは内山さんにある」と断言する。もう1人、現役時代に精神的な衝撃を与えてくれた監督が、日本代表も指揮した岡田武史(63)だった。

「帰れ」「帰りません」。師弟の会話は短かった。01年12月8日午前、天皇杯3回戦を翌日に控えた当時北海道コンサドーレ札幌の森下は、遠征先富山で父の訃報を知った。まだ59歳の若さだった。実家のある和歌山へ、北陸から強制的に戻らせようとしたのは当時監督の岡田。首を縦に振らなかった森下を見て、それ以上は何も言わなかった。岡田は数日後、森下の母親に直筆のはがきを送ったという。

文面について森下は「僕を実家に帰さなかったこと、そして天皇杯の試合でよく戦ってくれたこと。ちょっとしたこととはいえ、結構なことが書いてあった」という。

「そんな監督に出会ったことがなかった。あの時にあの行動ができる。選手のことを思っていないとできないこと。だから選手は岡田さんに付いていった。監督の姿を見て、選手は勝つために自らの判断でプレーするようになる。最高の形をつくっていた監督でした」

森下の現役生活はG大阪、札幌、磐田での計11年間でJ1通算202試合9得点。選手としては12人の監督に師事したが、試合で途中交代を命じられた森下が腹が立たなかったのは、これも岡田だけだったという。

「途中交代させられた選手は基本的に納得していないはず。でも、岡田さんに対しては『この交代は仕方ない』という客観的に見る自分がいた。当時の岡田さんに教えられたサッカーって正直、あまり覚えていない。だけどミーティングで言われたシンプルな言葉、ウオーミングアップで話しかけられる、たわいもない言葉がすごく響いた。指導者とは選手に言葉を伝えること、シンプルに伝えること。コミュニケーションがいかに大切か学んだ」

順大で名波浩と同期だった森下は運動量豊富なMFだった。技術が特別あったわけでなく、最後まで全力で走り抜くガッツマンだった。GK以外はどのポジションもこなし、どの時代も主力で起用された。逆に監督としては磐田、京都サンガFC、鳥栖、ザスパクサツ群馬で指揮を執り、どれも最後は無念の退任だった。今季からは古巣G大阪の若手チームを率いる。

「わずか55クラブのJリーグで、国内には700人以上が監督ライセンスを持つ。1回の監督で終わる人、1回も監督ができない人がいる。僕はこれだけ失敗したけど監督をやらしてもらえている。監督をしていれば選手との出会いがある。そこに喜びがある。監督業はやればやるほど学ぶことが多いし、伝え方もシンプルでないとだめ。自分の理想だけでもだめ。僕は選手に、自分はなぜ過去に監督で失敗したのかもすべて話す。彼らに少しでも回り道をしてほしくないから」

最近、森下のモチベーションを高めることがあった。岡田がオーナーを務めるFC今治が来季、G大阪U-23が参戦しているJ3に昇格したことだ。「人の縁はいろいろつながっていると思う。岡田さんが本気になってつくったチームとは、どんなものかすごく興味がある。対戦するのが今から楽しみで仕方がない」。G大阪で成長する若手を岡田に披露することが最高の恩返しになる。12月8日にJ3全日程を終えると、森下は欧州へと向かう。

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