JリーグMVP受賞者の近年の顔触れから わかること。ふたつの傾向とは

MVPに見るJリーグの歴史(3)

歴代MVPの顔ぶれを見ていると、その時々でJリーグに見られる傾向を、はっきりと映し出していることがよくわかる。

その傾向とは、おおまかにふたつ。まずは、「優れた外国人選手の減少」である。

これは、過去に外国人選手がMVPを受賞したシーズンを並べてみれば、明らかだ。

1994年=ペレイラ(ヴェルディ川崎)1995年=ドラガン・ストイコビッチ(名古屋グランパス)1996年=ジョルジーニョ(鹿島アントラーズ)1997年=ドゥンガ(ジュビロ磐田)1999年=アレックス(清水エスパルス)2003年=エメルソン(浦和レッズ)2005年=アラウージョ(ガンバ大阪)2007年=ロブソン・ポンテ(浦和レッズ)2008年=マルキーニョス(鹿島アントラーズ)2011年=レアンドロ・ドミンゲス(柏レイソル)

1994年~1997年まで4年連続で外国人選手がMVPに選出されているのをはじめ、2008年のマルキーニョスまでに9人もの外国人選手が選ばれている(1999年のアレックスは、受賞時点で日本国籍取得前のため、外国人選手に加算。2006年の田中マルクス闘莉王は、同取得後のため、加算せず)。

つまり、2008年までの16シーズンのうち、半分以上で外国人選手がMVPを受賞していたということだ。

ところが、2008年のマルキーニョスを最後に、状況は一転する。

2009年以降の11シーズンを見ると、外国人選手のMVPは、2011年のレアンドロ・ドミンゲスただひとり。1990年代(7シーズン)には5人いた外国人MVPが、2000年代(10シーズン)には4人に減り、2010年代(10シーズン)はついにひとりと、段階的な減少傾向がはっきりと見て取れる。

1990年代には、MVPを受賞した選手以外にも、レオナルド(鹿島)、ジーニョ(横浜フリューゲルス)、セザール・サンパイオ(横浜F)といった現役ブラジル代表クラスや、ギド・ブッフバルト(浦和)、パトリック・エムボマ(G大阪)、サルバトーレ・スキラッチ(磐田)など、ヨーロッパで活躍した選手が多数プレーしていたことを考えると、試合のなかで別次元のプレーを見せる外国人選手は、明らかに減っていた。

とはいえ、その傾向も最近は再び変わりつつある。

それを何より雄弁に物語る証拠が、ご存じアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)である。

2014年にディエゴ・フォルランがセレッソ大阪に加わったあたりから、徐々に変わり始めた流れは、ルーカス・ポドルスキ、イニエスタが立て続けに神戸入りして加速。その後も、フェルナンド・トーレスがサガン鳥栖に、ダビド・ビジャが神戸に、さらには南米からも、ジョーが名古屋に加わった。

近年、外国人選手の顔ぶれは豪華さを増しており、その後も大物の移籍加入の噂が絶えない。もちろん、それらすべてが実現するわけではないが、世界のサッカーマーケットにおけるJリーグの位置づけが変わってきたのは確かだろう。

現在、Jリーグでは8年連続で日本人選手がMVPを独占中だが、そろそろ外国人選手のMVPが久しぶりに生まれるかもしれない。

新型コロナウィルスの感染拡大が今後、どれほどの規模で、あるいはどんな形で、世界のサッカー界に影響を与えるのかはわからないが、近年の流れが続くようなら、その可能性は十分にあるだろう。

そしてもうひとつ、MVPの顔ぶれにはっきりと映し出されている最近の傾向が、”Jリーガーの高学歴化”である。

かつて日本にまだJリーグがなかった時代、選手にとってのエリートコースは、高校から大学を経由しての日本リーグ入りだった。

しかし、1993年にJリーグが誕生するや、有望選手は高校卒業と同時に、Jクラブ入りするケースが格段に増加した。そして、各クラブがユース年代以下の育成にも力を入れるようになると、その傾向はさらに強まった。

ところが、2000年代あたりから、高校(あるいはクラブユース)から直接Jクラブ入りしても、なかなか試合出場の機会が得られず、伸び悩む選手が目立ち始めた。すると、今度は高卒時点でのJクラブからの誘いを断り、あえて大学進学を選ぶ有望選手も現れるようになった。

また、選手を獲得するクラブ側にとっても、ある程度長い目で見て育てなければならない高卒新人に比べ、大卒新人は即戦力として計算できる。加えて、高卒選手(18、19歳でJクラブに入る選手)は、早くから活躍したらしたで、すぐに海を渡ってしまう選手も多くなった。

それに比べると、大卒選手(22、23歳でJクラブ入る選手)はJリーグで2、3年プレーすると、すでに20代後半に差し掛かり、それだけ海外移籍は難しくなる。つまり、クラブから見れば、貴重な戦力が流出する危険性も小さくなるのだ。

そんな理由もあり、現在のJリーグでは、大卒選手がかなり重宝されており、大学経由でのプロ入りは、近年増加傾向にある。

そんな傾向を象徴するのが、昨季MVPの仲川輝人(横浜F・マリノス)だろう。彼もまた、2015年に専修大を卒業した大卒Jリーガーである。

最近は、大卒JリーガーのMVP選出が目立っており、2016年の中村憲剛(中央大→川崎フロンターレ)、2017年の小林悠(拓殖大→川崎F)と合わせ、ここ4年で3人目という躍進ぶりだ。

実のところ、1998年の中山雅史(筑波大→ヤマハ=ジュビロ磐田)、2001年の藤田俊哉(筑波大→ジュビロ磐田)と、2000年前後にも大卒JリーガーがMVPを受賞してはいる。

だが、ふたりに共通するのは、彼らが高校を卒業する時点では、まだJリーグは存在していなかったということ。日本リーグでのプレー経験もある中山はもちろん、藤田にしても、大学進学はJリーグ誕生前の出来事だ。

つまりは、中村が”実質的な”大卒初のMVPであり、にもかかわらず、その後の3年でふたりも続いているのだから、この事象はもはや”たまたま”ではなく、主流になっていく可能性すらあるのだろう。

加えて、仲川の場合、専修大から横浜FM加入後、J2クラブ(町田ゼルビア、アビスパ福岡)への期限付き移籍を経てのMVP受賞である。J2でのプレー経験を持つMVP受賞者は過去にもいたが、出場機会を求めての期限付き移籍を経験しているとなると、極めて異例だ。

また、仲川は、MVP受賞時点で日本代表での国際Aマッチ出場経験がなかった初めての日本人選手でもある。

プロ入りまでの過程ばかりでなく、プロ入り後の成長過程までもが、それだけ多様化しているということだろう。

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