【G大阪】U―23からユースへ 森下仁志監督「選手たちの能力大差ない。気づくか気づかないか」ロングインタビュー

昨季までG大阪U―23を指揮した森下仁志監督(48)が、今季よりG大阪ユースの監督に就任する。スポーツ報知では昨年末、森下監督にオンラインインタビューを実施。FW食野亮太郎(22)=現ポルトガル1部・リオアベ=や、今季トップチームで存在感をみせたMF福田湧矢(21)を始め、数々の若手をトップチームに送り出してきたG大阪U―23での2年間と、クラブ、サポーターへの感謝などさまざまな思いを聞いた。

―2016年に創設されたG大阪U―23は、5年目の今季を持って終了。2年間指揮を執り、セカンドチームの意義をどう感じたか。

「選手たち、特に若く才能ある彼らにとっては、すごくいい場所でした。(無観客試合の時期を除くと)J3では毎試合、公式戦としてサポーターが入ってくれた。それが何人だろうかは関係なく、ミーティング、アップと公式戦の形で準備し、時には昇格がかかったクラブの、10歳以上も平均年齢が年上の相手と勝負できた。今年はほとんどバスで移動したが、時期によっては8時間かけて移動したこともありました。今の世の中、理不尽というか厳しい状況をつくることが難しい中で、彼らは多くを感じたはずです」

―たくさんの若手がJ3で経験を積み、トップチームでチャンスをつかんだ。U―23がなければ、彼らの成長が遅れていた可能性も感じるか。

「本人たちは今の場所にたどり着くポテンシャルがあったと思います。しかし能力のある選手は、自分が今何をすべきか気づく力も高い。アンテナが高いと言いますか。そして一度、何をすべきかのポイントをつかむと、やり続ける力があるんです。僕は選手たちにはサッカー的な能力には大差はなくて、何をすべきか気づくか、気づかないかで差が出てくると思っています。可能性がある選手はうちにはまだまだたくさんいると思うし、気づいてやり続ければ、もっとチームを助けられる選手が出てくると思います」

―なすべきことに気付く力は、どういった状況の中で養われたのか。

「試合を与えていただいたのは大きな、ものすごく大きなポイントだとは思います。でも本当に才能に気づかせるというか、磨くためには、摩擦を起こさないと、と思っています。ある意味、厳しい状況に追い込んで、自分の才能に気づかせる、と言いますか。もちろん人それぞれあるんですけど。それはただの根性論ではなく、サッカーをきっちりトレーニングし、さらにメンタル的に追い込まれていく中で、成功体験をつかんでいく。頑張るだけだと選手は疲弊する。成功例があると、自信につながる。そういった指導は、すごく大事かなと感じました」

―セカンドチームはトップチームで活躍する選手を育成する場所。選手たちにはどういったことを求めてきたのか。

「まず根本には、自分たちが好きで始めたサッカーをできる環境を与えてもらい、みなさんに応援してもらい、毎日、何不自由なくグラウンドに立てる。うちはアカデミーの選手が多く、この万博にくるのが当たり前の風景になっている。これが当たり前じゃない、やりたくてもやれない、走りたくても走れない。極端に言えば、生きたくても生きられない人もいるんだ、と伝えてきた。ましてや今年のように、(コロナ禍で)厳しい状況のひとはたくさんいる。好きで始めたサッカーをやらせてもらえる。そこがU―23の原点です。うまくいかなかったときに、不満を持ったり、不安になったりするのは、サッカーがやれた当たり前、この日常が当たり前だと思っているから。サッカーがやれているだけでありがたい。そう思ったら、ぼくらの悩みなんてちっぽけなもの。そのとらえ方を、常に選手には話をしてきました」

―若い選手たちは、そういったことに気づくのが難しい現実はある。

「僕はグラウンドに立てなかった時間もあったので。朝起きて、何十年も通っていたグラウンドに行けなくて。きょうは何をしよう、という日々もあった。こんなに大きくなったガンバ大阪で、素晴らしいスタジアム、グラウンドがあり、多くの人に愛されて。こんなに幸せなことはない。うちの選手は感度が高いんです。そうなんだ、と気づく力が高い。それをつかんだ選手の成長スピードは速くなる。そうすると、元々のサッカー能力も、より出せるようになるんです」

―2年間では数多くの選手と関わってきたが、森下監督の予想を超えて成長した選手は。

「(白井)陽斗ですかね。あいつの生き方が変わったんじゃないかなと思います。正直、去年の6月ぐらいまではどうしていくかな、と思っていました。そこからの成長はすごかったですね。本人がもがきながら、自分で気づいたんだと思う。今サッカーができていることはありがたいんだと。それまではどこか淡泊なプレーが多かったんですが、誰よりも泥臭く走れる選手になった。ユース時代にやっていたFWではなく、右のワイドでトップチームの練習にも呼ばれるようになっていた。そのあとに怪我をしてしまいましたけど、あいつ自身の勝利だと思います。自分に勝った証拠だと思います」

―セカンドチームとはいえプロの世界だが、森下監督はチャンスを与えない選手はほとんどいなかった印象がある。

「それは選手がもがきながら、応えてくれた、というのがある。可能性のある選手はいっぱいいる。それをいかに、短所を消すより長所を伸ばせるか。それが僕の一番のモットーなので。自分の息子のような年齢の選手を預かって、自分が中途半端に見捨てるようなことをしたら、親御さんにも申し訳ない。その責任はすごく感じていました。実際、選手のご両親や、おじいちゃんおばあちゃんと会うこともあった。ぼくらはこの世界で1年でも長く活躍する選手になってもらうことが大事なんですけど、好きで始めたサッカーでここまで生かされ、サッカーに生かされているので。サッカーを通じて伝えられることはたくさんある。サッカーをやめた後の人生も長い。みんなに男としてなにかつかんでもらいたい。と思ってやっています」

―選手を見捨てない、という点も森下監督のスタイルだったのか。

「僕はずっとこのスタイルです。だからなかなかトップチームで勝てないんでしょうね。諦められないんです。選手に対して。勝つことだけにこだわればいいんでしょうけど、そこが勝負に対する甘さなのかもしれない。そういっても、勝たなきゃいけない世界。今そういう部分では、まだまだ自分探しの途中です。でも指導者をジュビロ(磐田)でスタートさせてもらったとき、内山さんに、選手に選ばれる指導者にならなきゃいけない、と言われたことを意識してやってきました」

―このオフには、U―23で成長した多くの選手たちがG大阪を離れて新天地へと移籍。

「もちろん、この世界はいろいろある。外に出た選手もまたガンバでやりたい、と思うような。そういうクラブになっていければ。最後はガンバに帰りたい、と思えるような。指導者やるならガンバでやりたい、と思えるような、ふるさとのようなクラブに。このクラブがみんなが戻りたい場所になれば、クラブとしても成功じゃないかと思っています」

―U―23がなくなるのは残念だが、ユース監督としてはどういった指導を目指すか。

「サッカーができることへの感謝、まずそこをしっかり植えつけたい。感謝の気持ち、覚悟を、1年でも早く植えつけられるか。ガンバのアカデミーは、環境もよく、与えられることも多い。なぜ自分たちがスパイクを提供してもらい、寮生活できるのか。こうい環境でやれているのかを理解されることがスタート。それを13、14歳で理解したら、もっと成長スピードは速くなるはず」

―プロの指導から、育成年代への指導へ移ることに迷いはなかったか。

「たくさんの人から、トップチームの指導にしか興味がないのでは、と聞かれました。でも、でも僕は基本的にそういうものはないんです。ただ言えるのは、2年前、松波強化部長からU―23の監督の話をもらって、ガンバに戻してもらった。あの時は指導者として、簡単な状況ではなかった。ガンバ大阪、松波強化部長に助けてもらった、そういう気持ちが強い。帰ってきて、たくさんの才能ある選手と出会えて、彼らが頑張って結果を出してくれて、応援してくれるサポーターにもたくさんの愛情をもらった。そこに恩があると思っています。だからガンバから話をもらったら、どんなポジションでも絶対に受けようと思っていました。どういう役割でもガンバのために、求められているうちは、力を出せるものを出し切りたいと思っています」

―G大阪というクラブへの感謝がは大きい。

「自分がしんどい時に助けてもらって、たくさんの愛情をもらった。恩をもらったら恩返しするのが当然なので。僕はグラウンドに立てることがいかにありがたいか、身に染みて感じています。自分が一番望まれているところで、ましてや愛情をたくさんいただいているところで仕事ができることは、本当に幸せ。指導者人生の中でもお返しできないぐらいですけど、できる限り恩返ししたい。帰ってきて、多くのサポーターの方にもすごく声をかけてもらって、やっぱり大阪最高やな、と思っています。選手が成長し、それをたくさんのサポーターが応援してくれた。こんなにうれしい、楽しい2年間はなかった。一番幸せでした。僕にはなかなか、お礼を伝えられる場所がない。もし記事を通じて、サポーターの方々に感謝を伝えていただけたらうれしいです」

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