【プリンス関東参入戦】潜在能力は一級品!無名の逸材がG大阪入りを掴むまで

俊英左サイドバックは言う。「自分がプロになるというのは明確に見えていなかった」。

 東海大相模と言えば、真っ先に出てくるのは野球部だろう。現役時代は巨人の4番として活躍し、引退後は監督として一時代を築いた原辰徳などがいる。

その一方でサッカー部は昨年まで全国大会に出場したことがなく、プロ入りを果たした選手も皆無。全国的にはまったくの無名だった。しかし、近年は急激に力を付け、今夏はインターハイ初出場を達成。昇格初年度となった県リーグ1部でも、湘南ベルマーレユースや今夏の全国準Vの日大藤沢を抑えて初優勝を果たした。

その中で主軸を担った左サイドバックがいる。G大阪入団内定の山口竜弥(3年)だ。鍛え抜かれたボディから繰り出す豪快なドリブル突破とパンチの利いた左足は迫力満点。最終ラインから果敢に攻め上がり、アタッカー顔負けの仕掛けで好機を生み出す。守備面ではポジショニングなどに課題を残しているが、そのウイークポイントを補って余りある魅力を持った逸材だ。その実力はG大阪だけではなく、U-18日本代表でも高く評価されており、9月に行なわれた堺合宿では初めて日の丸を身に付けた。

今でこそ輝きを放つ山口だが、高1の時に参加した地区トレセンは落選。当然、世代別代表などにも昨年まで一度も入ったことがなく、プロ入りなど夢のまた夢だった。

「県のベスト16ぐらいのチームで、神奈川県リーグも昨年は2部。他の全国出場チームを見て、こいつらには負けないという気持ちはあったのですが、自分がプロになるというのは明確に見えていなかった」

本人が認めるように、下級生の頃は高卒でプロに行くビジョンなどまったく描けていなかったのだ。

ただ、ポテンシャルをフルに発揮出来なかったのには理由がある。「東海大相模は自由なサッカーがポリシーにある。自分も自由にやる所は自由にやって、自分の良い所を持って伸ばしたいと思っていた。なので、自分に合うと思った」という想いが山口にあったが、下級生の頃は自由という言葉をはき違え、身勝手なプレーを繰り返していたからだ。

2年時には学年で唯一レギュラーの座を掴んだが、ここぞというところでのミスが目立った。大一番になるとスタメンから外されることもしばしば。「アタッキングエリアより先でやりなさいと言っているのに、自陣のペナルティエリア付近からドリブルをやってしまう。だから、ひとりだけ2年生からゲームに出していたのに、大事な試合になると大きなミスが出るので怖くて使えない」と有馬信二監督が語るように、全幅の信頼を寄せられるような選手ではなかった。

解き放たれた才能は一気に開花し、名門クラブからオファーが来るほどに。

 その傾向は私生活でも顔をのぞかせる。何でもないようなことで仲間とぶつかり、授業態度も決して良好とは言えなかった。ピッチ内外での課題――。それが自由奔放なプレーにつながり、ポテンシャルを満足に発揮出来ない要因となった。

そして、迎えた最終学年。精神的な未熟さが目立っていた山口に転機が訪れる。学級担任に有馬監督が付いたのだ。

「プロに行きたいのなら授業もしっかりと聞いて、『こんな生徒がプロに行くの?』って言われないようにしなさいと伝えました」

指揮官は山口のメンタルを変えようと、生活面から根気強く指導。すると、次第に熱意が伝わり、下級生の頃に見せていた“やんちゃさ”は影を潜めた。プレー面でも見違えるほどのパフォーマンスを見せるように。気が付けば、山口はチームの主軸として欠かせない存在になっていた。

すると、インターハイ予選で圧巻のパフォーマンスを披露する。同校史上初の全国大会出場に大きく貢献し、その活躍を聞きつけたG大阪が県リーグを視察に訪れるまでのプレーヤーに昇華した。

「インターハイ後の県リーグ1試合を見ただけで、練習に来てくださいと言ってもらえたんです。来週も県リーグがあるという話をしたら、また来てくれた」(有馬監督)

こうして、山口は名門クラブからオファーを受け、来季から新たなスタートを切ることが決まったのだ。

しかし、山口にはまだやり残したことがある。チームをプリンスリーグ関東昇格に導く任務だ。12月23日のプリンスリーグ関東参入戦1回戦・流経大柏B戦では、貴重な同点弾をアシストして勝利に貢献した。「選手権に行けなくて、自分も不甲斐ないプレーをしてしまったという想いがあるので、後輩に残せるものは残して終わりたいと思っています」とは山口の言葉。自身を育てくれたチームに恩返しをするべく、25日の桐生一戦でも結果を残す。

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