黄金世代の炎のストライカーが引退。 播戸竜二が印象に残るゴールは?

黄金世代の炎のストライカーが引退。 播戸竜二が印象に残るゴールは?
現役引退を発表した播戸竜二
播戸竜二が9月14日、現役選手を引退した。

その引退発表で、ガンバ大阪が粋な計らいをした。

1998年、播戸はガンバに入団してプロ選手としてのキャリアをスタート。その後コンサドーレ札幌、ヴィッセル神戸を経て2006年にガンバに復帰し、天皇杯などのタイトル獲得に尽力した。ガンバの歴史に貢献した選手として、今回チームは1日の選手契約を行ない、播戸はガンバ大阪所属の選手として引退することができたのだ。それはJリーグでは初のケースだった。

「ガンバには感謝しかない。自分が最初に入ったチームや活躍したチームで最後を迎えて、応援してくれた人たちの前で引退の挨拶ができる。これはほんまに幸せなこと。ガンバにやってもらって実感した。こういう送り方というか最後の花道を、これから各チームで引退する選手に用意してあげてほしいなって思う」

サガン鳥栖戦の試合前、ピッチ上で最後のあいさつをし、ピッチ内を一周している際、播戸は感極まって涙を流した。ファンの温かい声に触れたのもあるが、ガンバでの思い出が頭を駆け巡り、ガンバで引退できたことに安堵した気持ちもあったのだろう。

この時期の引退は、やや唐突な感も否めないが、播戸は昨年J3のFC琉球を退団してから自然と自分の気持ちが落ち着くのを待っていたようだ。

「そうやね。琉球で優勝した時、これで選手は終わりかなっていう感じはあったけど、その時はまだ選手をやりたい気持ちが強かった。そこで自分の気持ちに嘘はつけへんと思ってやめられへんかった。それからサッカーを解説したり、イベントに出たりする中で徐々にプレーしたい気持ちが薄れていった。だから、引退を決めたのは、ほんまにいつということはなく、琉球をやめてからちょっとずつの蓄積なんですよ」

播戸はJ1では325試合に出場し、87ゴールを挙げている。J3までの通算では396試合109ゴールである。日本代表では7試合出場2ゴールだ。クラブは最初のガンバ大阪から7チーム、渡り歩いた。

21年間で最も印象に残るゴールは何になるのだろうか。

「08年天皇杯決勝(柏レイソル戦)での決勝ゴールやね。延長戦の後半から出て、気持ちがすごく入っていたし、タイトルをもたらす貴重なゴールになったんで。チームのために、サポーターのために決めることができたんで、いちばんのゴールやと思う。個人的なゴールで言えば01年函館でのガンバ戦で決めたボレーシュートやね。ガンバで活躍したいけどできんかった。それで札幌に移籍してガンバから奪った最初のゴールだった。もうめちゃメラメラしていたし、自分にとって特別な意味のあるゴールやった」

ガンバには98年-99年、06年-09年に在籍した。

ファンの印象に残っているのは06年から西野朗監督の下でプレーした4年間だろう。11番を背負い、06年にはキャリアのセカンドベストとなる16ゴールを挙げている。

「ガンバでは天皇杯、ナビスコ杯とか優勝したけど、いちばん思い出深いのはクラブワールドカップ(08年)やね。アジアでチャンピオンになって世界のクラブの大会に出るのってクラブとしても個人としても初めての経験やった。俺は海外(のリーグ)に行けへんかったし、W杯にも出られへんかったけど、クラブで世界と戦うことができた。7万人の日産スタジアムで当時、クリスティアーノ・ロナウドやスコールズ、ルーニー、テべス、ギグスがおった最強のマンチェスター・ユナイテッドを相手に、負けたけどガンバらしい試合をやれたのはすごく心に残っている」

播戸は感覚的なストライカーとして捉えられていたが、じつは非常に研究熱心な選手だった。現役時代はオフには必ず海外に行き、欧州サッカーに触れ、刺激を得ていた。

「イタリアが多かったけど、常に何かを学びたいと思って欧州に行っていた。俺らの若い時はなかなか海外には行けない時代やったけど、日本と違う文化の中で本場のサッカーを肌で感じたかった。W杯に出たかったし、J1で優勝したかったのもあるけど、俺は海外でプレーすることがいちばんやりたかったことやね」

播戸が海外に目を向けていたのは、高いレベルでプレーしたいという選手としての欲求からだが、同時に小野伸二や稲本潤一ら「黄金世代」の仲間たちが海を越えていったからでもある。

「黄金世代」とはナイジェリアでの99年ワールドユースで準優勝を果たし、その後の日本サッカー界に大きな貢献をしてきた播戸と同期の選手たちのことだ。すでに小笠原満男、中田浩二ら多くが引退し、Jリーグでプレーしているのは遠藤保仁、南雄太、稲本潤一、小野伸二、本山雅志の5名だけ。播戸は、いつの時代も「黄金世代」の仲間から刺激を受けてきた。

「ガンバが自分にとって特別なクラブであるように、黄金世代は自分にとって特別な存在やね。みんなに負けたくないと思ってやってきたし、みんなと一緒にサッカーをやりたいと思って頑張ってきた。まだ現役の選手もおるし、これまではピッチ内でサッカー界に貢献してきた。

でも、これからは引退したみんな、それに今後、引退する選手がピッチ外でいろんなことをしてサッカー界を盛り上げていくことになる。俺も頑張らなって思うよ。満男が朝から晩までアカデミーやユースを見ているというのを聞くと、『満男すげーな』と思うけど、やっぱり負けられへんと思うもん」

黄金世代の選手たちの進む先も楽しみだが、播戸の今後も気になる。琉球退団後、サッカー界だけではなく、ビジネス界の経営者などに会い、交流関係を広げてきた。

播戸はピッチ外で何をやろうとしているのだろうか。

「正直、先はまだ見えへん。ただ監督とかコーチの現場はないかなと思う。それよりもクラブ経営とかマネジメント、Jリーグやサッカー協会で仕事ができたらいいなって思っている。ドイツでは協会に選手が入って選手ファーストで強化している。日本のサッカー界も現場だけではなく、そういう場にも引退した選手が入って活躍していけるようになれば、もっと日本サッカーも変わっていくかなと思うからね」

今もいろんな人に必要とされる人材になるためにいろいろ勉強している。ピッチ上では愚直で感覚派だが、ピッチ外はいい意味で抜け目なく、しっかりと道筋を描き、歩んでいく。近いうちにアッと驚くような報告をしてくれるかもしれない。

この日、播戸は鳥栖戦をユニフォームを着て、観戦した。

1-0でガンバが勝利し、「よかったわ」とホッとした表情を見せた。試合後はガンバで同世代の遠藤が播戸の引退を惜しんだ。

「ユース時代から知っているし、ガンバでも代表でも一緒にプレーしたんで寂しい部分はあります。バンは、いつもチームを盛り上げてくれたし、ピッチでがむしゃらにプレーする姿を見せてくれた。まあ、本人はやり切ったと思うし、これからもちょこちょこ会うんで、その時は思い出話でもしたいと思います」

ちなみに引退セレモニーの時は、橋本英郎、加地亮ら元チームメイトに加え、神戸時代に一緒にプレーし、プロとして大きな影響を受けたカズ(三浦知良)からもメッセージが届いた。多くのサッカー人からも愛された。

最後、聞きたいことがあった。

21年間のサッカー人生は?

播戸は「そうやなぁ」と少し間を置いてこういった。

「やり切ったわ!」

彼らしい入魂のひと言だった。

ピッチ外では繊細だが、ピッチ内では両肩をいからせて走り回り、ボールに飛び込み、日本代表の試合ではガーナの選手に蹴られて流血し、テーピングを真っ赤に染めてピッチに戻ってきた。

誰にも負けへん――その気持ちを貫いた21年間、炎のストライカーだった。

リンク元

Share Button