【25年目の大阪ダービー 因縁の歴史 レジェンド編】ライバルが“再戦”森島社長&宮本監督

9月28日にヤンマースタジアム長居で行われるC大阪―G大阪の「大阪ダービー」に向け、かつてピッチで激闘を繰り広げたレジェンドたちも火花を散らす。C大阪の森島寛晃社長(47)と、G大阪の宮本恒靖監督(42)は、選手時代に両クラブの顔としてしのぎを削り、日本代表ではチームメートとして2002年W杯などを共に戦った。現在は社長と監督として、お互い立場は違えど両クラブを代表するふたりが、大阪ダービーへの思いを語った。

ミスター・セレッソにとって、G大阪は背中を追い続けてきた存在だった。「我々は2年遅れてJリーグに入ったこともあって、当時はどうしても『大阪のJリーグチーム=ガンバ』。最初の頃は間違えられることも多くて、街でも『ガンバの森島さんやね?』って声をかけられたことも。個人的には絶対、ガンバよりも強くなってセレッソを周りに知ってもらいたかった」とダービーへの思いは人一倍だ。

宮本監督とは現役時代、クラブの顔として激しい戦いを繰り広げて、02年の日韓W杯ではそろってメンバー入りを果たした。そんな間柄だからこそ、対抗意識も強い。「立ち位置は違いますけど、やっぱり同世代として負けられない。男前でもありながら、さらに勝ち点3も取ることだけはさせられない」。

思い出のダービーを尋ねると、99年5月15日(万博)に、2―1で競り勝った一戦をあげた。「ツネがボールコントロールしたのを奪って、そのまま抜け出して点を取ったシーンがあるんですけど、何よりも試合に勝ったことが忘れられない」。当時の宮本監督は「戦略的で相手に良いところを出させない。賢いプレーヤー」だったといい、「それは自分には無いところだったので、がむしゃらさで賢さに勝つ、そこは負けられないと思っていた」と懐かしそうに振り返った。

両クラブにとって、大きな分岐点となったのは05年。悲願の初優勝まで首位で最終節を迎えたC大阪はF東京と引き分け、2位のG大阪が川崎を下し逆転Vを達成した。以降、ライバルが次々とビッグタイトルを獲得する一方で、セレッソは翌年J2に降格。3シーズンを2部で過ごした。

05年のダービーは2試合とも敗戦。そこで勝ち点1でも奪っていれば―。後悔は尽きないが「ガンバだけじゃないですけど、途中の試合をしっかり勝てていれば最終戦を残して優勝するチャンスはあった。これからタイトルを取っていくうえでも、ダービーは制しないといけない」と、悔しさを教訓へと変えている。自身がピッチに立つことはないが「選手たちも特別な一戦だと感じてくれている。貪欲に戦っていく姿勢を見せてほしい」とゲキを飛ばした森島社長。「万が一勝たないと、僕が丸刈りにするしかない」と少し伸びた坊主頭を触りながら、運命の一戦への決意を示した。

◆クールなG大阪・宮本監督もダービーは「熱くなります」

クールなイメージが強いG大阪・宮本監督も、大阪ダービーには熱い血が騒ぐ。「メンタルの盛り上がりはありますし、お客さんの雰囲気もあって高ぶりはありました。冷静沈着なタイプ? それはイメージだけなんで。違う部分もある。熱くなります」。大阪ダービーが始まった95年に、G大阪ユースの一期生として初のトップチーム昇格。2005年のJリーグ初優勝など栄光の歴史も知る男は、立場が監督に変わった今も、この一戦にかける思いは強い。

現役時代は主にセンターバックとして、C大阪FW森島、西沢といった日本代表のチームメートたちと対戦した。「モリシさん(森島)とか、アキ(西沢)とかが活躍すると勢いがつく」と、いかにして敵のキーマンを封じるかという点に、頭と体をフル回転させたという。現役時代の対戦成績は、13勝8敗2分け。一方、昨季途中の監督就任後は2戦2勝だ。

C大阪・森島社長が、現役時代に自身からボールを奪って得点した試合を思い出の場面に挙げていると聞くと「確かに(ボールを)取られたのは印象にあります。ゴールされたのかどうかは憶えていないですけど…」と苦笑いで受け流した。今頭にあるのは、大阪ダービーの勝利をここまで12位と低迷するチームの起爆剤にしたいという思いだ。「ダービーという大きな試合で、勝ち点3を狙いたい。ガンバのサポーターが一番勝利を喜んでくれる試合。ガンバで育ってきた人間としても、絶対に勝ちたい試合です」。血をたぎらせた現役時代の思いそのままに、大一番に臨む。

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