【25年目の大阪ダービー 因縁の歴史 番外編】かつて合併の噂も…ダービーが燃える理由とは

9月28日にヤンマースタジアム長居で行われるC大阪―G大阪の「大阪ダービー」。大阪を南北に二分して行われるこの一戦だが、海外のダービーマッチのように、宗教や地域間抗争など両クラブ間が争うベースはない。そんな中で行われるこの試合が、なぜ両サポーターをここまで熱くするようになったのか。クラブ関係者、サポーターの声などからその理由を探る。

大阪ダービー前日、G大阪の練習場には毎回のようにサポーター有志が集う。27日には大阪府吹田市内の練習場に約30人のサポーターが駆け付け、非公開練習後の選手たちを激励した。一方、C大阪は試合前日が完全非公開のため、サポーターも駆けつけることはできない。それでも前日26日にフラッグを設置し、この一戦にかける思いを選手たちに伝えた。

両クラブの関係者を取材すると、大阪ダービーの熱は「サポーターが作り上げてくれたもの」と語る。世界のダービーを見渡すと、両クラブ間にある貧富の差や宗教問題、地域格差がきっかけとなっている事例は多い。世界一熱いダービーと呼ばれるアルゼンチンのリーベルプレートとボカ・ジュニアーズの「スーペルクラシコ」では、サポーターに富裕層の多いリーベルと、労働階級層が多いボカ、といった対立構図がある。

大阪ダービーにも大阪市、堺市をホームタウンとするC大阪と、吹田市など北摂地域をホームタウンとするG大阪で、南VS北という構図があるが、両サポーターの分布は大阪全域で入り混じっているという。地域間に多少の経済格差はあっても、それが両クラブの因縁につながっているという背景は薄い。

両クラブの歴史を紐解くと、G大阪の前身・松下電器サッカー部は、創設の際にC大阪の前身・ヤンマーサッカー部から、レギュラークラスではなかった選手たちが移籍する形で発足。言わば“兄弟クラブ”のような形で誕生した。ヤンマーは日本リーグで4度優勝を誇った名門で、松下は日本リーグの優勝経験はなし。しかしJリーグには93年の開幕からG大阪が参加した一方、C大阪は2年遅れの95年からだった。同じ大阪というチーム名を持ち、お互いが「自分たちが大阪一のクラブ」と考えうる状況も相まってか、意識し合うライバル関係が出来上がった。

さらにサポーターの歴史をたどると、先にJ入りしたG大阪でサポーターグループが発足。その後、G大阪からC大阪サポーターへと転身した人々が、C大阪のサポーターグループ設立に携わったという過去もあるという。G大阪サポーター連合の代表・鈴木啓之さんは「同じ大阪という町にチームがあるので、そこにはすべてにおいて負けたくない。というのが根底にある。対戦成績、サッカーの魅力、クラブの観客動員、応援。関わるものすべてで負けたくない」と語る。

一方、過去には両クラブに合併の噂が立った時期もあった。Jリーグバブルも落ち着いた96、97年ごろ。両クラブとも好成績を残せず、観客動員でも伸び悩みをみせていた。C大阪・森島社長は「噂ですけど、大阪に2チームもいるの? みたいな話はぽろっと出てきてましたよ」と当時を回想した。同じ噂はG大阪サイドにも回っており、大阪の2クラブを合併し、ビッグクラブを作る構想があると、まことしやかにささやかれていたと言う。

しかし日本代表が98年フランスW杯への初出場を決め、サッカー人気も高まりを見せる中で、そんな噂は立ち消えた。その後は両クラブとも日本代表に選出される選手も輩出し、浮き沈みはありながらもお互いが高め合ってきた。近年は力関係も拮抗し、今季はC大阪が6位、G大阪は12位という状況で迎える。C大阪でサポーターのコールリーダーを務める浜田俊平さんは「大阪で一番のクラブであってほしいという思いが自分たちには強くある。そこを証明するには、順位やタイトルはもちろん大事ですけど、やっぱりガンバに勝つという事実、そこはとても大事にしないといけない」と語る。順位に関係なく、互いの意地がぶつかる“日本屈指のダービー”が、ヤンマースタジアムで明日、キックオフを迎える。

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