J3から這い上がったガンバ福田湧矢。東福岡の先輩・宮原裕司の金言とは。

12月7日のJ1リーグの最終節。後半終了間際にピッチに送り出された福田湧矢はアウェイの埼玉スタジアムで、待望のJ1初ゴールを叩き込んだ。

有終の美を飾る形で、プロ2年目のラストマッチを終えた20歳のアタッカーは、初ゴールから3日後、シーズンオフの過ごし方をこう話していた。

「オフもとにかく動きます。実家の近くの公園で弟たちと一緒にね」

今や堂々たるプロ選手ではあるが、どこかサッカー小僧の面影も残している福田らしいプランだったが、このとき嬉しいサプライズが彼を待っていることは知るよしもなかった。

年の瀬の28日に行われるキリンチャレンジカップU-22ジャマイカ代表戦に、追加招集で名を連ねたのだ。

高校サッカー界の雄、東福岡高校で10番を背負いその名を轟かせていた福田だが、世代別代表への招集は初。ごくありふれた公園で自主トレに励むつもりだったJリーガーを待っていたのは、東京五輪を目指す同世代の才能たちとのアピール合戦の場だった。

ルーキー開幕先発も主戦場はJ3。
福田のプロ入り後の歩みはとにかく波乱万丈の一言に尽きる。

ルーキーイヤーの昨年は、高校卒業前の2月にガンバ大阪のクラブ史上初めて、高体連出身の新人として開幕スタメンに抜擢。だが、本職ではないボランチのポジションで輝きを見せきれず、やがて主戦場はガンバ大阪U-23の一員として戦うJ3リーグに。

今シーズンは5月18日に行われたセレッソ大阪との大阪ダービーでJ1リーグに出場したものの、開幕当時の立ち位置はまさにどん底。セカンドチームであるガンバ大阪U-23でさえ、スタメンは保証されていない状況だった。

J3の開幕戦さえ出てなかったのに。
大阪ダービーを終えた直後、U-23の森下仁志監督も愛弟子の這い上がり方にこう感嘆したものだ。

「湧矢なんて、今思えばJ3の開幕戦にさえ先発していなかったですからねえ。ただ、ああいうメンタリティでやり続ける奴は、チャンスを掴むんですよ」

最高の開幕スタートを切ったプロ1年目は、その後のチャンスをつかみきれなかったが、捲土重来を期すはずだったプロ2年目はトップチームのキャンプ参加さえ許されず、どん底からのスタートを余儀なくされたのだ。

「めちゃめちゃ悔しかったですよ。でも今年こそやってやるって思っていたし、ここから這い上がってやろうと思いました」

経験のない左SBも「チャンスだな」。
J3リーグの開幕戦は後半34分からの途中出場だったが、第2節のアスルクラロ沼津戦では先発に。ただし、ポジションはほとんど経験がない左SBでの抜擢だった。本来のレギュラーSBである山口竜弥が体調不良だったこともあって、巡って来たチャンス。

「オム(山口の愛称)君が熱だったので、監督からは練習中に左SBでの起用があるかもと言われていたんです。出られるならどこでもやるつもりだったし、むしろチャンスだなと」

右利きで左足がさほど得意ではない福田が左SBを務めるのは決して簡単ではなかったが、これこそが森下監督が言う「ああいうメンタリティ」なのである。

札幌戦では菅との対決で完勝。
大阪ダービーでは、ウイングバックを務め抜群のスタミナと走力で左サイドを支配した。「メンタル面が調子の良し悪しに出るところと、得点やアシストとか結果に絡めていないところが課題」(福田)ということもあって、必ずしも常時レギュラーの座を確保していたわけではなかったが、今シーズンはJ1で17試合に出場した。

コンサドーレ札幌に5-0で圧勝した10月4日のJ1リーグでは、U-22日本代表に招集されている菅大輝とマッチアップし、序盤こそ押し込まれたものの試合を通じては完勝し、その成長の跡を見せつけている。

芝生の上を転がるルーズボールにも、時に頭から突っ込む気合と年上の相手選手にも物怖じしないメンタルの強さも福田の持ち味。そんな強気な若武者が「本気で向かい合ってくれたサッカー人生で初めての指導者」と心酔する森下監督の指導で球際の激しさと走力を身につけたことが、今季の成長を支えている。

宮原コーチ「そんな選手じゃ……」
もちろん、気持ちだけでは世代別とはいえどもジャパンブルーに手は届かない。

サイドでボールを受ければ、ロストを恐れずドリブルで仕掛けるスタイルを取り戻すきっかけになったのは東福岡の先輩でもあるコーチの存在だ。

今年からガンバ大阪U-23で指導する宮原裕司コーチは、東福岡高校で高校三冠を勝ち取ったファンタジスタである。

福田のプレーを中学生の頃から知っているという宮原コーチは、今年1月、こんな言葉をかけたという。

「変わったな、お前のスタイルは。そんな選手じゃなかっただろ」

デビュー当時の指揮官、レヴィー ・クルピ氏にボランチとして抜擢されたことで、逆に自らがプロで歩むべき道を迷っていた福田だったが、宮原コーチの言葉が原点回帰のきっかけになったのだ。

大黒に憧れた福田が五輪代表へ。
今季は左SBとしてJ3リーグで初先発した若者は、喜びと悔しさを噛み締めながら、確かな成長を遂げて来た。「すごく充実していたし、たくさんのことを学べた1年だった」と振り返る1年の最後に待っているのは、U-22日本代表での戦いである。

福岡県北九州市生まれの福田が小学生の頃からガンバ大阪でのプレーを夢見るきっかけになったのは、日本代表FWとして活躍した大黒将志のプレーがきっかけだった。

かつてのヒーローもまとったジャパンブルーのユニフォームに福田も袖を通す。

初の国際舞台で経験値の低さを露呈するかもしれない。Jリーグでは体感し得ないフィジカルコンタクトに苦戦を強いられるかもしれない。それでも、どん底から這い上がって来た男にとって、全てが新たな経験の場である。

海外組やオーバーエイジとの争いが待つ東京五輪への道は険しく遠いのは間違いないが、「ああいうメンタリティ」が20歳の若者をまた大きくするはずだ。

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