元G大阪 播戸竜二さんがこれからも背負っていくものは…

昨年も多くのスポーツ選手が第一線から退いた。「まだまだやれる」と惜しまれながら区切りをつけたのはこの人も同じだろう。J1、J2、J3と全カテゴリーでプレーし、通算109得点のストライカー。昨年9月に現役引退を表明した播戸竜二さんは今、どこかに視線を感じながら第二の人生を歩んでいる。

初めて話をさせてもらったのが、G大阪に在籍していた2006年。いつも明るく、前向きなプレーが印象的だった。長い年月を経て、3年前の冬。「お母さんを大事にしろよ!」と珍しく強い口調で言われた。大宮との契約が満了するのも同じ頃。実母を亡くした直後だったことを、後になって聞いた。

G大阪の練習生で始まったプロ生活。1998年当時は月給10万円だった。兵庫・姫路の実家を朝6時に出発し、JR香呂(こうろ)駅から約2時間。茨木駅に着くと、練習場までは自転車で通った。「交通費とか携帯代を払うと、ほとんど手元に残らない」と今でこそ笑うが、とにかく大変な毎日だった。ともに一時代を築くことになる稲本潤一、新井場徹らと同級生。外食のランチはひとり我慢するのだが、ここで母の手作り弁当が活躍してくれた。

好物は卵焼き。だしがたっぷり入った甘めの味付けだった。「昼休みに、洗濯や掃除のおばちゃんと一緒に食べるのが恒例。ベタな感じのお弁当やけど、それが大好きやった」。唯一のこだわりは、おかずがすべて「手作り」であること。「冷凍食品やと思ったら、一切、手をつけなかった」というわがままを黙って、大きな愛情で受け止めてくれた。

「産んでくれて、育ててくれて。お母さんが自分の人生で、かなりのウェートを占めているからね…」。母の死を知った直後には一度、本気で引退を考えた。下積み時代から支えてくれた母の存在。喪失感を埋めるように立ち上がった。翌年にJ3のFC琉球で現役を続行。最後の最後まで全身全霊で戦い抜いた。

「お母さんとは常に向き合ってきたし、できることはやってきたつもり。後悔はない。『今までありがとう。引退したよ!』って言いたかったけどね…」。最後に余計なお世話だが、播戸さんは40歳独身。理想の女性を聞くと「あの卵焼きをつくってくれるような人に出会いたいね」と冗談を交えてくれた。サッカー界に恩返しすることを目標に「今はいろんな違う世界を勉強中」と向上心は現役時代のまま。天国のお母さんがきっと、一番のサポーターであるに違いない。

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