浦和の「引き立て役」はもう御免だ。ガンバACL雪辱劇と勝負師・西野朗。

『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています!  今回はガンバ大阪を長年取材している、下薗昌記氏による2008年ACL準決勝、浦和レッズ戦の回想録です。

サッカー王国ブラジルで最も危険なダービーで知られるコリンチャンス対パルメイラス戦や、ボカ・ジュニオルスの本拠地、ボンボネーラで漂う狂気に似た空気を数多く吸ってきた私にとっても、あの夜の埼玉スタジアムは異空間だった。

2008年10月22日、ガンバ大阪は宿敵、浦和レッズとのACL準決勝2レグに挑んだ。

5万3287人のサポーターを飲み込んだ埼玉スタジアムは、番記者の私にとっても完全アウェイ。地鳴りのような野太いコールが鳴り響くスタジアムを見渡せる記者席に足を踏み入れた時、全身に鳥肌が立ったのを今でもはっきりと覚えている。

1993年のJリーグ開幕戦で顔を合わせて以来、幾度となく対戦してきた両雄ではあるが、FIFAアンセムとともに入場して来るのは第1レグに続いて2度目のこと。国内で覇権を争ってきた2つのビッグクラブが唯一、国際タイトルを懸けてぶつかり合ったのが2008年のACLだった。

大一番で立ちはだかった浦和の壁。
当時の両チームの力関係を象徴するのが、西野朗監督が自嘲気味に口にしていた言葉である。

「引き立て役」

ガンバ大阪にとって浦和レッズは大一番での「天敵」だった。2006年はゼロックススーパーカップで敗れた後、J1リーグ最終節では直接対決。埼玉スタジアムで逆転負けを喫して連覇を逃すと、2007年元日の天皇杯決勝でもその軍門に下っている。

タイトルを賭けた直接対決で長らく乗り越えることが出来なかった浦和レッズ。「いつも浦和の壁があったので乗り越えたい」と明神智和が話した言葉は、選手とサポーターのみならず、ガンバ大阪を日々、取材する番記者の誰もが抱いた気持ちだった。

サッカー王国ブラジルで最も危険なダービーで知られるコリンチャンス対パルメイラス戦や、ボカ・ジュニオルスの本拠地、ボンボネーラで漂う狂気に似た空気を数多く吸ってきた私にとっても、あの夜の埼玉スタジアムは異空間だった。

2008年10月22日、ガンバ大阪は宿敵、浦和レッズとのACL準決勝2レグに挑んだ。

5万3287人のサポーターを飲み込んだ埼玉スタジアムは、番記者の私にとっても完全アウェイ。地鳴りのような野太いコールが鳴り響くスタジアムを見渡せる記者席に足を踏み入れた時、全身に鳥肌が立ったのを今でもはっきりと覚えている。

1993年のJリーグ開幕戦で顔を合わせて以来、幾度となく対戦してきた両雄ではあるが、FIFAアンセムとともに入場して来るのは第1レグに続いて2度目のこと。国内で覇権を争ってきた2つのビッグクラブが唯一、国際タイトルを懸けてぶつかり合ったのが2008年のACLだった。

大一番で立ちはだかった浦和の壁。
当時の両チームの力関係を象徴するのが、西野朗監督が自嘲気味に口にしていた言葉である。

「引き立て役」

ガンバ大阪にとって浦和レッズは大一番での「天敵」だった。2006年はゼロックススーパーカップで敗れた後、J1リーグ最終節では直接対決。埼玉スタジアムで逆転負けを喫して連覇を逃すと、2007年元日の天皇杯決勝でもその軍門に下っている。

タイトルを賭けた直接対決で長らく乗り越えることが出来なかった浦和レッズ。「いつも浦和の壁があったので乗り越えたい」と明神智和が話した言葉は、選手とサポーターのみならず、ガンバ大阪を日々、取材する番記者の誰もが抱いた気持ちだった。

遠藤、山口、明神のゴールも痛快だが。
一時期、「ナショナルダービー」と称された両雄は数々の名勝負を演じてきたがそのスタイルも、また対照的だった。ワシントンや闘莉王ら個の力に屈してきたガンバ大阪だが、貫いてきたのは西野監督と遠藤がこだわってきたパスサッカー。「黄金の中盤」と称された遠藤や二川孝広らの織りなすパスワークは、ガンバ大阪の表看板である。

そんな大阪の雄が、宿敵の庭で蝶のように舞い、蜂のように刺した。それが後半31分の駄目押し点だ。ルーカスのポストワークを起点にカウンターを発動させると、敵陣で華麗にパスをつなぎ、闘莉王らを翻弄。遠藤が冷静に蹴り込んで、試合を決定づけた。

鉄仮面の背番号7がサッカー少年のように破顔し、ベンチ前では西野監督が握りしめた右拳で何度もガッツポーズ。引き立て役が「主役」に昇華した瞬間だった。

西野ガンバに不可欠だった遠藤、山口、明神のゴールも痛快そのものだったが、歴史的な逆転勝利をプロデュースしたのは、間違いなく西野監督が持つ勝負強さ。自らの采配が当たると、身振り手振りの回数とキレが増すスーツ姿の指揮官は、双眼鏡越しでも格好良かった。

番記者として最高の勝利を肴に……。
「今日の勝因は、気持ちだと思う」

試合後のミックスゾーンで遠藤はこう振り返ったが指揮官、選手、サポーターの思いが埼玉スタジアムでひとつになった一夜だった。

そして、ピッチ内の結果には何ひとつ影響を及ぼしていないとは知りつつも、私たち番記者も歴史の目撃者となるべく、埼玉の地に乗り込んでいた。長いタイムアップの笛の後、ガンバ大阪を追う記者たちと何度握手したことか――。

まったくの私事だが、西野シンパの某全国紙記者と最高の勝利を肴に、朝まで痛飲したことも、懐かしい思い出となっている。

絶体絶命の危機からハッピーエンドを迎えるアクション映画と、人の情念を描くヒューマンドラマを同時に鑑賞した気分にさせられた90分――。少なくとも私にとって、あの一夜の興奮を上回るガンバ大阪の試合はこれからも、ないと思うのだ。

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