宇佐美貴史、天才と呼ばれた男の少年時代

京都府で名を馳せ、ガンバ大阪のアカデミーで成長した宇佐美貴史は、破壊力抜群のドリブル突破、力強く正確なフィニッシュを武器に高校2年生でプロデビューを果たし、ドイツでのプレーも経験した。キャリアを振り返れば「天才少年」のイメージが強いが、本人は小さい頃から多くのことを考え、努力を重ねてきたという。京都での少年時代の思い出や、成長の軌跡を語ってもらった。

見ている先には常に家長がいた

ご両親が熱心なガンバ大阪サポーターで知られる宇佐美選手には、幼少期からさまざまな「伝説」があります。生後8カ月ぐらいで初めてボールを蹴ったそうですが、本格的にサッカーを始めたきっかけを教えてください。
宇佐美 きっかけは、もう覚えていないです。それぐらいサッカーが僕の身近にありました。2人の兄がサッカーをしていましたが、やりたいと思ったきっかけも、興味を持ち始めたタイミングも覚えていません。ただ、一番古い記憶は3~4歳ぐらい。なぜサッカーをやりたいと思ったのか分かりませんけど(笑)、気が付いたときには、のめり込んでいましたね。

――2人のお兄さんも、長岡京サッカースポーツ少年団(京都府)でプレーしていました。本格的に始めたのはお兄さんの影響が大きかったのでしょうか?
宇佐美 僕のサッカー人生で最初に何かのポイントをつくるとしたら、そこでしょうね。長岡京に家長昭博さん(現在は川崎フロンターレ)がいたことは、最初の大きな出来事です。長岡京に入れるのは普通は小学1年生からですけど、僕は幼稚園年長のときに加入して、7年間いました。地元のクラブだったので、ある意味、流れに乗るような形で長岡京に入ったんですが、僕が年長のときに家長さんが6年生で、あの人が背負っているようなクラブでしたね。

――長男がドリブラーで、次男がストライカー。「宇佐美三兄弟」も当時、有名だったと聞きました。
宇佐美 でも、兄2人のことは僕には見えていなかったです(笑)。練習には一緒に行っていましたけど、見ている先には常に家長さんがいましたから。

――当時の家長選手から何を参考にしたのですか?
宇佐美 僕が幼稚園の年中だった頃、5年生だった家長さんを見ていますけど、今、フロンターレで見せているプレーそのままですね。家長さんを見ていたことで、感覚的なものというか、センスを追い求めるようになった気がします。

僕は体が大きくて足も速かったので、ボールを前に蹴って走れば相手を抜けたんです。ゴールキーパーも、たいてい背が高くないので、少し高い位置に蹴ればすんなり決まるんですけど、僕は家長さんの姿を見ていたから、上に蹴ったら入る場面でもゴールのスミを狙って蹴っていたし、ドリブルは、どちらかというとステップワークやボールタッチの細かさで相手をかわしていました。単に蹴って走るドリブルでは中学生になったあと、周囲の選手に身体能力で追い付かれたときに抜けなくなる、ということは小学6年生ぐらいの時点で理解していました。

――あるインタビューでも、当時スピードで抜いていくドリブラーを見て、速さだけでは将来的に通用しないと思い、細かいタッチを意識していたと話していました。
宇佐美 京都府で有名な選手でしたが、彼がボールを蹴って、走ってスピードだけで抜いていく姿を見て、僕は「この選手は中学校で厳しくなるだろうな」と思っていました。そういう発想ができたのは、家長さんを見ていたからでしょうね。

家長さんも同じようなプレーはできたと思うんですが、身体能力に頼らず、ボールの置きどころを意識したドリブルをしていました。だから僕も、「アンチ身体能力」、「アンチスピード系」という価値観になっていたんです。小学生にしてはわけの分からない、とがり方ですよね(笑)。技術や間合い、考え方が見えるようなドリブラーは好きでしたけど、ボールを蹴って、大きな歩幅を活かして抜いている選手に対しては「今は君のほうが点を取っているかもしれないけど、中学生、高校生になったときに活躍してるのは僕だ」と思っていました。「あの子、すごい」と言われるよりも、「あの子、うまい」と言われたかったのです。

ステップアップのために臨機応変にドリブル

宇佐美選手はマーカーやコーンを使った練習もしていた一方、次第にマーカーやコーンを用いず、目の前に相手選手を思い浮かべて仕掛ける練習、いわゆる「妄想ドリブル」をするようになったそうですね。
宇佐美 僕は考えることが好きだったんです。何も考えずにプレーするよりも、なぜそういうミスが起きたのか、どうやったらボールタッチがうまくなるのかを考えていました。闇雲にボールを蹴ったり、触ったりしてもうまくなりません。

妄想ドリブルは小学3、4年生ぐらいだったかな。きっかけは、あるとき気が付いたんです。マーカーやコーンを使ったドリブルは基礎中の基礎。できるようになったあとに続けても正直、意味はないですよね。実際の相手はマーカーやコーンのように止まっているわけではないので、実戦で使えるスキルではありません。

マーカーやコーンのドリブル練習は、実戦で使うスキルの一つ手前で、いわば土台です。ずっと土台をつくる作業をしていても仕方ないですし、ステップアップしなければいけません。だから、頭の中で相手を思い浮かべて臨機応変にドリブルするほうが理にかなっていると思ったんです。よくボクサーがシャドーボクシングをするじゃないですか。相手をイメージするという点では、シャドーボクシングとほとんど一緒です。

――妄想ドリブルの具体的な方法を教えてください。
宇佐美 基本的に、思い浮かべる相手は1人ではなかったです。4、5人を思い浮かべて、ボランチとサイドハーフのところを突破したらサイドバックが出てくるので、そこでカットインしたら次はセンターバックが出てくる、というところまで想定していました。何人か抜いたあとに、相手がどういうカバーリングをしてくるか、といったことも思い浮かべていました。カットインしたあとにどうプレーするのか、ピッチ上の奥のほうまで描きながら練習するんです。

――小学生の頃の思い出に残っている練習はありますか?
宇佐美 リフティングをしながらダッシュする練習です。50メートルぐらい、それもトップスピードのまま。小学6年生ぐらいから始めて、中学生になって(ガンバ大阪ジュニアユースに入って)からも続けていました。

ほかに思い出深いのは、小学校低学年のときです。長岡京はひたすらボールに触らせるので、本当に集中して自分が扱いたいように、置きたいところに置けるように、蹴りたいところに蹴れるように練習していました。今にして思えば、不思議なほど集中していました(笑)。「この練習は絶対におろそかにしてはいけない」、「これでサッカー選手としてのベースができるんだ」と無意識に感じていたんだと思います。長岡京は、サッカーをすごくやっていた記憶はありますけど、メニューは特別ではなかったです。

プロの練習を見に行ってほしい
――長岡京の指導者に受けた影響はありますか? ある学年からは「パス禁止」など、個の強さにこだわった指導もあったと聞きました。
宇佐美 僕は家長さんも指導していた小島重毅さん(当時の担当コーチ。現在は副団長)から指導を受けましたが、技術的なことはそれほど教わったことがないんです。小島さんはサッカーで有名だったわけではないですし、元プロ選手でもありません。当時、阪急電鉄の車掌さんだったんです。でも、僕に本気でぶつかってきてくれたことは、いまだに記憶に残っていますし、技術面よりも、精神面を高めてくれたと思います。うまくなるためのアドバイスはあまりありませんでしたが、「うまくなろうとしているか」、「本当に恐れずにドリブルで勝負しようとしているか」が問われる指導でした。そこはすごく良かったですね。

――小島さんからは「お前は家長のような天才じゃないから、努力しろ」とアドバイスされたそうですね。
宇佐美 言われましたね。「お前は家長にはなれない。あいつは教えたことを1回目からできた。お前は1回ではできないから、回数を重ねて、できるようになるまでやるしかない」と言われたんです。僕はサッカーが好きだったので、練習をしているとは思っていませんでした。僕は才能があるとは思わないですけど、下手な時間を楽しめることが自分の才能なのかなと思います。

――宇佐美選手の場合、下手と感じるレベルが通常とは異なるのではないですか?
宇佐美 サッカーを始めた当時のことは覚えていません。でも、僕は最近ゴルフを始めて、最初は散々なんですけど、ボールが飛ばないことが楽しくて、やめようとは思わないんです。サッカーも同じような感覚だったのかな、と思いました。どうしてサッカーをここまで頑張ることができたのか、分かった気がしましたね。天才などと言われることもありましたけど、僕の場合は「何でうまくできないんだ」と言うとき、顔は笑っているんです。

――現在はスマートフォンやゲームなど娯楽も多いです。宇佐美選手のように、サッカーの練習を苦痛に思わないようになる環境づくりは可能でしょうか?
宇佐美 子供の性格もあると思いますが、唯一、影響があるとするなら、せっかくその気があるのに、親が期待をかけすぎてつぶしてしまうことでしょうか? 僕の父は、「もっとこうしたほうがいい」とか、何も言わなかったです。言われた記憶がまったくありません。プレーが良くても、京都で一番になっても、祝ってくれたことはないです。

僕も親になりました。自分の子供にやりたいことをさせてあげたいですけど、ただ見守るだけでいいと思っています。親がプロ選手にしようとして、なぜ子供にプレッシャーをかけてしまうのでしょうか? 「なぜ、そのプレーができないの?」、「なぜ、この時間に練習しないの?」などと子供に言うと、未来をつぶしてしまうと思います。それを親が理解しないと、被害者になる子供が確実に増えると思うんです。

大きな声援はすごく励みになりますが、僕たちプロ選手がサポーターから感じるものと同じプレッシャーが、子供にかかっていると思ったほうがいいです。プロ選手としてプレッシャーを感じながらプレーすると、サッカーの楽しさが分かりにくくなることもあります。それは、サッカーが仕事だからです。「小学生の頃からそんな状況にしてしまうのは、かわいそうだと思いませんか?」と言いたいです。もちろん、お金もかかっているでしょうから親の気持ちも分かるのですが、プロ選手になれるのは一握りです。本人がなろうと思っても簡単にはなれるものではありませんし、親がプロ選手にしようと思ってなれるものではありません。

――Jリーグや海外サッカーを気軽に見られる時代になりました。プロ選手のプレーを見る上でのアドバイスを聞かせてください。
宇佐美 まず、会場に試合を見に来てほしいですね。また、プロの練習も見に来てほしいです。僕は小さい頃、母と一緒にガンバの練習を見に行っていたことも、その後の自分にとって大きかったと思います。スタジアムで試合を見るのとは、また違う感覚なんです。練習場は選手と同じ目線で、空気感も違います。目の前で選手がボールを蹴るときの迫力や、バーンという音は、目が点になる感覚でした。練習を見に行けば選手のすごさや格好良さが絶対に伝わりますし、「ああなりたい」と思うはずなんです。

――最後に、プロ選手になることを夢見ている選手や、サッカーを楽しんでいる選手など、さまざまな状況でプレーしているジュニア年代に対してメッセージをお願いします。
宇佐美 「好きこそ物の上手なれ」という言葉だけを胸に、頑張ってほしいです。サッカーが好きなら頑張れるでしょうし、うまくなりたいのなら、努力しているとすら思わないことが大事だと思います。子供たちがゲームを好きな場合にずっとやっているのと同じです。4時間だろうと5時間だろうと、サッカーを楽しめるかどうか、が大切なんです。

プロフィール

宇佐美貴史(うさみ・たかし)/ 1992年5月6日生まれ、京都府出身。幼稚園年長のときに地元の長岡京サッカースポーツ少年団でプレーを始め、年上のチームで多くの得点を決めて注目を集める。ガンバ大阪ジュニアユースから中学3年生のときにユースに昇格し、高校2年生のときにトップチームに昇格。2011年夏のバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)移籍後、G大阪復帰とドイツ再移籍を経て、19年夏にG大阪に再復帰した。14年にはG大阪の国内3冠に貢献。09年のUー17ワールドカップ、12年のロンドン・オリンピック、18年のロシア・ワールドカップに出場。178cm・69kg

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