韓国代表DF、初来日時に感じた日本サッカーの難しさは? 「自分にはとても速かった」
G大阪DFキム・ヨングォンが語る日本サッカー、20歳でFC東京に加入
Jリーグではこれまで数多くの韓国人選手がプレーしてきたが、31歳のガンバ大阪DFキム・ヨングォンが歩んできたキャリアは稀有なものだ。20歳だった2010年、母国のKリーグを経験せずにJリーグのFC東京に加入。翌年には大宮アルディージャへ完全移籍すると、12年ロンドン五輪での銅メダル獲得後に中国スーパーリーグの強豪・広州恒大へ移籍した。
広州恒大ではAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を2度経験するなど、チームの黄金期を支えると、韓国代表の一員としても14年、18年と2度のワールドカップに出場。そんな輝かしい実績を手に19年1月、G大阪に加入して再びJリーグの舞台に足を踏み入れた。
若くしてJリーグに挑戦した韓国人選手として、また隆盛を極めた中国スーパーリーグを経験した1人として、現在の日本サッカーをどのように見ているのか。オンライン取材で本人を直撃し話を訊いた。
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「今年はようやくシーズンがやってきたという感じです」 長らく怪我でチームを離れていた韓国代表DFキム・ヨングォンが戻ってきた。5月27日に行われたJ1リーグ第16節の徳島ヴォルティス戦で今季初出場。先発フル出場を果たし、2-1と8試合ぶりの勝利に貢献した。G大阪は現在、消化試合数が少ないもののJ2降格圏と同勝ち点のリーグ16位(15試合終了時点)。昨季から指揮を執っていた宮本恒靖監督が解任されるなど、チーム状態は決して良いとは言えない。そうした状況をキム・ヨングォンは冷静に見つめていた。
「難しい時ほどチームが一つにならなければいけない。成績は悪いですが、私が知っているチームメートの能力は本当に高い。これからも十分に上位に上がれる力はあるので、そこまで心配はしていません。でも、降格圏から一日も早く抜け出さないといけないですね」
昨年はリーグ2位の結果を残し、「今年はもちろん優勝したい」と意気込む。今年はリーグ下位に沈むが、「私が2019年にガンバ大阪に来たのは、アジアでも屈指の強豪クラブで、リーグでもAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でも優勝を狙えるチームだからです」と語る。
G大阪に来る前、キム・ヨングォンは中国スーパーリーグの広州恒大で7年間、プレーしていた。その間にG大阪とはACLで対戦しており、「その時にすごく良いチームという印象があった」と振り返る。そして、「数あるクラブのなかから、ガンバ大阪が熱心にオファーしてくれたのが大きい。タイミングが合ったのもありますが、自分にとって一番良い環境でサッカーができると思って決めました」と話す。
日本サッカーの“テンポ”についていくのに「すごく苦労した」
キム・ヨングォンが所属クラブを決める際に、とても重要視していると感じたのが、環境の良さと成長力だ。韓国の全州大学校を経て、プロ初の舞台に選んだのは日本のJリーグだった。 「もっといい環境でサッカーができる場所を探していたのですが、そのなかでもFC東京が一番良い環境でサッカーができるのではないかと思って決めました」
当時、キム・ヨングォンはU-20韓国代表にも選ばれ、2009年U-20ワールドカップ(W杯)にも出場。主力としてベスト8進出に貢献している。そんな姿をFC東京の強化部がチェックしていたようだ。
「当時の(U-20韓国代表)監督が、試合を何度か見に来ていると教えてくれたのですが、自分に関心を持ってくれていたことにはとても感謝しています。Jリーグに行くきっかけができたわけですから」
2010年からFC東京で歩み始めたプロサッカー選手としての第一歩。慣れればすぐにでも戦える自信はあったというが、大学とプロのレベルの違いには圧倒されたという。
「自分よりも本当に上手い選手たちがたくさんいて、チームに貢献できるのか。ほかの選手たちとのポジション争いに勝てるのかなど、すごく緊張感があったのを覚えています」
日本のサッカーへの適応は、そう簡単ではなかったという。
「慣れるまでには時間がかかりました。一番は言葉の壁。日本語でのコミュニケーションは、プレーにおいてもすごく重要でした。特にセンターバックなので守備の連係や最終ラインの確認など、意思疎通を図るうえでも日本語でのコミュニケーションはすごく大事だなと感じました。もちろん今はもう日常会話程度なら問題なくできますよ」
その他に難しいと感じたのが、サッカーの“テンポ”だったという。 「日本サッカーのテンポについていくのに、当初はすごく苦労しました。自分にはとても速かったんです。もちろん大学とプロではスピードの違いは顕著にありますが、日本のサッカーは韓国よりも緻密で細かいプレーと動きが特徴だと感じました。監督やチームメートからいろんなアドバイスをもらいながら、プレーに慣れていきましたね」
Jリーグで対戦した選手で印象に残っている2人「献身的に戦うスタイルがすごく好き」
これまでJリーグで様々な選手たちと対戦しているが、印象に残っている選手について聞いてみた。キム・ヨングォンは少し考えると、2人の選手の名前を挙げた。
「たくさんのFW、MFとマッチアップしてきましたが、対戦相手で考えた場合、1人は川崎フロンターレの(レアンドロ・)ダミアン選手ですね。もう1人は名古屋グランパスの米本拓司選手です。その理由は、私はチームのために献身的に戦うスタイルがすごく好きなんです。米本選手は目立つわけではありませんが、チームのために犠牲になるプレーをしている。それでとても印象に残っています」
自身も闘志を前面に出すスタイルだからか、チームに献身的な選手には共感を覚えるのだろう。
日本に馴染むという意味で、大阪の街はウマが合った。外国人選手にとって生活環境の良さは、当然プレーにも直結する。今季から新加入した後輩のチュ・セジョンがいるのは、キム・ヨングォンにとってはありがたい。
「代表で同じなのでよく話す仲でした。今はコロナで一緒に出掛けることができませんが、通常の生活に戻ることができたら、大阪を案内してあげたいです」
少し考えて、キム・ヨングォンはG大阪に来た時のこんなエピソードを教えてくれた。
「関西弁がとても難しくて、最初はまったく理解できなかったんです。初めて学んだ日本語は、FC東京だったので標準語でしたから。そしたら宮本前監督は大阪出身なので、関西弁を話しますよね? 戦術のミーティングで『やらなあかん』って言われた時、『一体何を話しているんだろう……』と頭の中が真っ白でした(笑)。今は分かりますけれど、当初は苦労しました。今は周りの選手たちも関西弁を使う選手が多いので、たまに自分も関西弁が出るんです。『なんでやねん』とか(笑)」
チームメートたちと楽しく過ごしている姿が想像できる話には、とてもほっこりさせられる。
日本に来て驚かされた「周囲に迷惑をかけないようにする」文化
以前、セレッソ大阪GKキム・ジンヒョンにインタビューをした際、日本の文化に接して性格が変わった部分として、「車の運転が優しく、慎重になった」と話していたことを伝えると、キム・ヨングォンはこう言ってのけた。 「ああ、ジンヒョン先輩は、韓国での運転が元々荒っぽいんですよ。私は最初からスピードも車線もしっかり守るタイプで慎重。人の性格によると思います(笑)」
そう冗談を言ってしまえるほど、先輩とも後輩とも分け隔てなく接することができる選手なのだろう。代表戦でキャプテンを任せられた理由もうなずける。 ちなみに、キム・ヨングォンが日本で驚いたのは「周囲に迷惑をかけないようにする」日本人の文化だそうだ。
「例えばですが、エレベーターの中で電話をしないとか。周囲への気配りをすることを心掛けるようになりました」
日本の水にはもう慣れた。あとはピッチ上で最高のパフォーマンスを見せるだけだ。
「自分がこれからどのようなサッカー人生を歩むかは分かりません。とにかく所属しているチームでベストを尽くすこと。それだけを心がけてサッカーをしています。早く上位進出に向けて勝利を勝ち取っていきたいです」
低迷が続くG大阪の起爆剤となるべく、キム・ヨングォンは気合い十分だ。