守備を頑張る宇佐美貴史にシュートする東口順昭、ジュビロの中心にいた遠藤保仁… ガンバを4試合撮って感じたこと【激写】
冒頭の写真を見たら、ほとんどの方は湘南ベルマーレのセンターバック舘幸希が、ガンバ大阪のフォワード宇佐美貴史を食い止めている場面だと思うだろう。中には、でも舘は右サイドだったのに、なんで左サイドの守備を? セットプレーの流れ? と思う方もいるかもしれない。
しかし、どちらでもない。これは舘が攻撃をしていて、宇佐美が自陣のペナルティエリア横で守備をしている場面だ。
ゴール裏から撮影していると、攻撃方向と逆側からの方がたくさん撮れる、という選手がいる。
前線から積極的に指示を出す選手や、シュートの場面以外で前を向いてボールを持つことがない選手など、個人の特徴に合わせてあえて逆側から狙う場合もあるが、試合の流れの中で自然と逆向きで写真に残るのはチームで果たす役割によるところが大きい。単純にパターンで分けると最もそれに当てはまるのはポストプレーヤーで、当てはまらないのはドリブラーやフィニッシャー役を担う選手だ。
ベルマーレvsガンバ、“宇佐美の顔”が数多く撮れた
6月2日に行われた湘南ベルマーレvsガンバ大阪の前半、私は湘南の攻撃を撮影していた。その45分で顔がしっかり見える形で最も多く写っていたガンバのアタッカーは宇佐美だった。
しかもその多くが、例えば逆を向いてボールを持っているような主役の写真ではなく、湘南の選手がボールを持っているところを撮ったら入ってきた、というものだった。
今回載っている宇佐美の写真は全て前半のものだ。もちろん宇佐美はポストプレーヤーではない。写っている姿もディフェンダーを背にして体を張ってボールをキープしようとしているところではない。
前線からの守備を頑張っている、と言えば聞こえは良い。
実際にそういう場面の写真もある。
かつて守備をしないことを弱点と言われていた時期があったのが嘘のように、今の宇佐美はチームのために走り、しっかりと体を張って守備に貢献してみせる。それ自体は悪いことではないだろう。
しかし、ここまでたくさん自陣でそうしている姿が写っていると、守備に追われていた、あるいは、守備をするしかなかった、という印象が強くなる。
こうなってしまった理由は単純で、湘南にペースを握られ続けたからだ。
パトリックに個の強さを出してボールを収めてもらい、そこから周りがゴールに向かって動き出す、という戦い方をしたかったガンバだったが、その部分を湘南にしっかり対策されると攻撃の手段を失ってしまった。
偶然にも3週間で4試合目のガンバ戦取材だった
実はこの試合は、約3週間で4試合目のガンバ戦取材だった。5月12日のサンフレッチェ広島戦から始まり、次に16日の浦和レッドダイヤモンズ戦、そして22日のFC東京戦と3試合連続で取材していた。
これはガンバの状況を考慮して意図的にそうしたわけではなく、4月の時点で決まっていた予定だった。これは個人的な話だが、タイトル争いの行方や昇降格争いの行方によって毎週変化せざるを得ない終盤の時期を除き、大体の予定は1~2カ月前に組んでしまう。
このタイミングでガンバ戦が続いたのも、ここで向こうに行けば効率よく関西のチームを取材できる(水曜日~日曜日でガンバ、神戸vsセレッソ、京都、ガンバと行けて、しかも最後の吹田は17時開始。その日のうちに東京に帰ることができる)ということと、22日は同日に2試合取材しようと思えば、2試合目は19時開始の東京vsガンバ1択だったことが重なって3連続となり、2日に至っては湘南側を取材する用事があっただけだった。
松波監督体制になって自然と注目が
しかしご存じのように、広島戦後に宮本恒靖監督が解任され、浦和戦から松波正信強化アカデミー部長が暫定監督としてチームを指揮することになった(湘南戦からは暫定ではなく正式に監督として指揮)。
その2試合はもともとガンバを目的に行っていたので当然注目していたのは青黒のチームだった。そして、その後の試合でも自然と白いガンバに注目するようになった。
ただ、どの試合でも、ガンバはおかしかった。
広島戦では終盤にゴールキーパーの東口順昭がシュートを放った。コーナーキックの流れから再び展開しようとした彼は、左、右、左と首を振り、適切な場所へと動き出していないチームの姿を目にすると自らシュートすることを選んだ。
浦和戦では、監督が交代して生まれ変わろうとしているはずのチームが、なぜか消化試合のように戦っていた。
それぞれが独立したようなプレーで、チーム全体としての攻撃や守備がなかったのだ。象徴していたのが前半飲水タイムの光景である。浦和の選手よりも早くベンチ前を離れたガンバの選手たちは負けた後のようにうつむいて、とぼとぼ歩いていた。上手くいかない時にこそ選手間でコミュニケーションを取ろう――という姿が見られず、あっけなく0-3で敗れた。
東京戦では開始1分も経たずに失点を喫すると、選手たちは浦和戦同様に独立した動きを繰り返してしまった。空気を変えるべく途中投入された選手も悪い流れに巻き込まれ、パトリックや一美和成がゴールから遠いところで孤軍奮闘していた。
連勝後の湘南戦、チーム全体の動きを見ると……
そして湘南戦。私は、徳島ヴォルティスと横浜FCに連勝したチームがどういう変化を遂げたのか、を確かめながら当初の予定通り前半に湘南の攻撃を撮影していた。すると前述したように宇佐美がやたらとファインダーの中に入ってきた。 はっきり言ってしまえば、ガンバは良くなっていなかった。
瞬間的なワンプレーで個で上回る。そんな場面が生まれて勝てる可能性はある。攻守の約束事がはっきりしないまま選手それぞれが試合の体裁を整えようとして、それが噛み合えば勝てることもある、つまりはチーム全体が強くなっていないのだった。
矢島慎也や小野瀬康介、井手口陽介らがその状況に言及することはある。しかし、東口がもどかしさをプレーに乗せたり、昌子源が意図的なパスを入れて修正を促したかと思えば「なんで行かないんだよ!」と叱咤したり、キム・ヨングォンのオーバーラップが効果を発揮して徳島に勝っても、その場限りになってしまう。
それはチーム作りの根本にある問題だということなのだろう。
深刻さは、特にサイドの動きを見ているとわかりやすかった。
昌子が怒るシーンもあった
たとえば浦和戦では右サイドの奥野耕平がボールを持っても出すところがなく、幾度となくボールを下げた。
3点リードした浦和が後半に入ってガンバにボールを持たせるようになると、それはさらに目立った。それだけ出される側の動き出しがなかったのだ。東口がシュートを放った直後の試合、しかも新監督になって心機一転となるはずの試合で、準備期間の短さを踏まえても、試合中に改善を図れないのはショッキングな光景だった。
東京戦では、左サイドバックの黒川圭介が追い越しの動きをしても使ってもらえず、次第に上がること自体なくなる。すると最終的には昌子に怒られることになってしまった。倉田と藤春廣輝で相手を慌てさせたイメージが強い左サイドで、倉田がいるのにそうなってしまうとは思わなかった。
翌23日、私は前日と同じく味の素スタジアムにいた。取材した試合は東京ヴェルディvsジュビロ磐田。どういう巡りあわせか、ここでもまたガンバのことを考えさせられた。
この日は首都圏でJ1の試合がなく、J2でこの試合かジェフvs町田の2択だった。ヴェルディ相手だとアウェイでも1stユニフォームを着てくれる磐田を撮りに行こう、となるのは自然な流れで、カレンダーが発表された時から決まっていた。
矢島慎也が遠藤について言及したこと
ガンバのことを考えていてもいなくても、遠藤保仁にレンズが向くのもまた自然な流れだ。ただ偶然は重なるもので、東京戦を前に遠藤の名前を出したガンバの選手がいた。
矢島慎也である。 「ヤットさんがいた時は、みんな言わなくても感じ合っていた」と話しつつ「今は自分のやりたいようにやっている感じ」とコメントしたことが『日刊スポーツ』の記事になっていたのだ。
もちろんこの発言の意図は、遠藤が必要だということではない。だから自分たちはチームとして戦っていく必要があるというもの。記事の中でもその部分のコメントまで載っている。そのことを十分理解したうえでも、どれだけその存在が大きかったのかということは十分伝わってきた。
試合が始まると、背番号50は磐田の中心だった
試合が始まると、背番号50は誰がどう見ても磐田の中心だった。
ビルドアップでノッキングが起きそうになったり、後方で相手のプレスに負けそうになったりした時に、とりあえずここに出しなよ、とばかりに救いとなるパスコースに現れ、そこから再びペースを握る。
苦しくなったら遠藤を見る、苦しくなっても遠藤が現れる。
そういうプレーをこなし続ける姿は、1試合だけを見ても偉大だった。決して磐田が攻撃面で圧倒したわけではない。そんな試合だけでもそうなのだから、ガンバで長く時間を共有していた選手たちにとって、彼の存在が唯一無二であることは想像に難くない。
憲剛がいなくなっても強いフロンターレを思う
もし、今のガンバに遠藤が戻ったら問題は解決するだろうか。
個人的な意見だが――プレー面、精神面でも、全員が遠藤を見てプレーすることで、チームとして最適な場所でそれぞれの個の強さを発揮し、勝利を手にできるのではないか。
しかし、こうも思う。
遠藤という偉大な存在によって問題は解決するが、やはりあまりに偉大すぎる。それは近い将来に問題を先送りにして今を乗り切るだけで、今と同じ、いや、もっと深刻度を増して苦しむことになってしまうのではないだろうか、と。
例えば、川崎フロンターレである。中村憲剛という偉大な存在の“次”を特定の誰かが背負うのではなく、チーム全体、各自ともに継続可能な要素に噛み砕きつつ、分散させることで彼らはさらに強くなった。
中村本人がいながら、緩やかかつ確実にチームの強さを増した――というパターンはそう簡単に実現するものではない。
ガンバというチームは、パトリック・エムボマが豪快なシュートを決めている姿や、大黒将志がいとも簡単に裏を取ってゴールを陥れる姿、宇佐美とパトリックの2トップだけで相手を蹂躙する姿など、それぞれの時期にいたその強烈な個の特徴に合わせてチーム全体がそれをより活かせる形に変化していたはずだ。
そして、遠藤がそれぞれの個を際立たせる存在として中心にいた時期が長かった。ただ、その代役というのはそう簡単に表れるものではない。
卵が先かニワトリが先か――ではないが、最高の個が先行してあるとは限らない。
かつてと同じような戦い方を実現するため、絶対的な選手の出現に期待するのではなく、その時いる選手が最も輝けるチーム作りに全体で取り組む。それによって新たな強さ、そして新しい象徴的な存在が手にできるのではないか。
状況に応じた最適な方法を追求していくことで時代を重ねていく。そんな姿勢が脈々と受け継がれていくことこそ、いわゆる勝者のDNAというものの正体だったりするのではないだろうか。
6月2日、湘南の浮島敏監督に「全てで相手を上回った」と言われるほどに苦しんでいたガンバを目にして終えた取材日程の帰り道、そんなことを考えていた。
ガンバは時代を進めることができるだろうか。それとも――。 いや、きっとできる。
選手の力はあるから、ということではない。選手たち1人1人は問題点を口にしているし、ベストを尽くそうとしているのだから、あとは時間をかけて互いに遠慮なく要求し合っていけば、きっとできる。代表ウィークでの中断と、延期になった試合が連戦として組み込まれていることがプラスに働いてくれるはずだ。