本田、家長から堂安まで…G大阪アカデミーの人を育てる極意

サッカーJ1のガンバ大阪でスカウト部長やアカデミー本部長、普及部長などの要職を歴任した二宮博氏(59)が今年1月、27年間務めたクラブを退職した。現在は、ガンバで選手だった嵜本晋輔氏が社長を務め、ブランド品の買い取りなどを手掛ける「バリュエンスホールディングス」でシニアスペシャリストを務める。家長昭博(川崎)や本田圭佑ら多くの名選手を輩出したアカデミー組織を裏方として支えた二宮氏に、人を育てる極意を聞いた。

■指導者、環境と巡り合う スカウトとして多くの選手に関わってきました。教師経験があったこともあり、進路指導や面談も行いました。最終的にはその子が望む進路を尊重するのですが、常に考えていたのは進学する学校や部のスタイルが合うかどうか、成長できる環境かどうか、ということ。そのための助言をよくしましたし、そうして大きくなった選手もいます。

例えば、家長と本田。中学時代を受け持ちましたが、同じ左利きでポジションも同じ。注目されていた家長はいち早くトップチームに昇格し、チームを背負って立つ存在になると、ある程度予想できました。一方、本田は技術的には高いものの、走ることが苦手。本人も自覚していました。

今思えば、現在の本田のアスリートとしての活躍や企画者、経営者としての資質は、中学生のころから見えていたように思います。印象的だったのは、進学する石川・星稜高に練習参加したときのこと。河崎護監督(当時)に「チャンスを与えてほしい」と連絡し、反応を聞いてみました。

すると「おもしろい選手。石川県にいないタイプ」と言ってもらいました。聞けば、本田は「星稜高に入ったら、すぐに使ってくれる?」と尋ねたのだそうです。度胸を示し、偉大な指導者に強みを見抜いてもらった。それが成長につながったと思います。

今の日本代表では、鎌田大地(フランクフルト)も同じような境遇。ユースチームに昇格できないことが決まり、父親と一緒に京都・東山高を進学先に選んだのがよかったと思います。

■世間で通用する振る舞い

アカデミー本部長時代には、大阪・追手門学院高との提携に携わりました。当時のユースチームは人工芝のグラウンドはありましたが、学校は各自で選ぶ方式でした。すると終業時間がバラバラのため、練習開始が遅くなり、夜型の生活になってしまう。人としての成長に欠かせない睡眠や勉強の時間が逼迫(ひっぱく)しかねないと感じていました。

提携に向けた話し合いでは「保護者や地域の指導者から選手を預かっている以上、知育、徳育、体育のすべてで、きちんと育てたい」との思いを伝えました。知育は学校、徳育は両者、そして体育はガンバ。教師を務めていた経験が生き、両方にプラスとなる話し合いができました。

提携はさまざまな部分に影響を与えました。高校サッカーの強豪校と同様に、午後3時半ごろから練習がスタート。学内での活動の様子などを聞き、ピッチ上の姿と掛け算することで、これまでとは違った指導ができるようになりました。コーチ陣のアプローチの仕方も変わりました。

提携後にユースチームに加わった選手には、ガンバで活躍する井手口陽介のほか、谷晃生(湘南)や堂安律(PSVアイントフォーヘン)らがいます。学校でも、目立つ存在だったでしょう。つらい思いもしたはず。一方で、運動会などでは先頭に立って盛り上げたりもしていました。「学校が活気づいた」との話を聞き、よかったと思ったことがあります。1人の人間として、世間で通用する立ち居振る舞いを身につける。そのベースができればいいと思っていました。

■出会いは非常に大切

今年2月、ガンバを離れてバリュエンスホールディングスに入社しました。嵜本社長は私がスカウトした元Jリーガー。2017年からスポンサーになって支援をいただいている中で再会する機会があり、広い視点でスポーツ界に貢献したいとの考えを持っていることにひかれました。

19年には早大サッカー部のスポンサーにもなっています。昨年からはアスリートの採用も始めており、スポーツ選手の価値を高めるとともに、どうしたら選手たちのセカンドキャリア、デュアルキャリアを充実したものにできるかを熱心に模索しています。

入社して一番に思ったのは、教師にしても、プロスポーツクラブにしても、独特な世界だったということです。今の会社の社員の平均年齢は約30歳。社長自身が会社の使命やビジョンを明確に打ち出し、勢いがあります。「最先端」はこうなのか、と痛感します。

かつてはプロサッカー選手を育てる上で、「教育を」と言っても相手にされない時期もありました。しかし、下部組織に入った全員がプロになれるわけではありません。運よくプロになっても、Jリーガーは平均26歳で引退します。その後の長い人生でどう生計を立てるのか。そこに教育が生きてくると思います。

嵜本社長は元選手から上場企業のトップになった人物。こうした、いろんな経歴を持つ人の話を聞き、何かを感じてほしい。クラブがそういう機会を設けてもいいでしょう。出会いは非常に大事です。夢を語れる人から刺激を受け、学んでほしいと思います。

二宮博(にのみや・ひろし)1962年2月4日生まれ。愛媛県出身。三瓶高(現宇和高三瓶分校)から中京大を経て愛媛県の中学校教諭に。94年スカウトとしてガンバ大阪に加わり、強化部スカウト部長やアカデミー本部本部長、普及部部長を務めた。2021年、バリュエンスホールディングス入社。

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