中村憲剛は経営者として成功できる? 年商380億円の元Jリーガー社長・嵜本晋輔との“共通点”

中村憲剛は経営者以上に「意思決定」を経験している?

嵜本晋輔が考える、ビジネスにおいて理想なチームとは

一つには決めていない方向性と、一つのロールモデル

プロ入りと同時に大学入学。二足のわらじ生活は長くは続かず…

一時はYahoo!の上半期大賞を取っていた事業をすべて撤退

改めて語る「中村憲剛が引退を決意するまで」の意思決定

嵜本:ビジネスにおいて、撤退のタイミングはすごく重要です。一方で、アスリート個人が撤退するタイミングを自分自身でどう見極めるのかはすごく難しいテーマだと思います。憲剛さんは、昨シーズン限りで引退しましたが、やろうと思えばあと5年はプレーできたはずだと思います。

中村:いや、5年はわからないですけど(笑)。

嵜本:やり続けるという選択肢もあったと思うんですよ。でもこのタイミングで、大好きなサッカーを手放す決断をした。どういう意思決定の要素があったのかすごく興味があります。

中村:いつまでやるか、30歳を過ぎた時に一度真剣に妻と話し合いました。年を重ねるとフィジカルが衰えていくと一般的にはいわれていますし。あと年俸も高いままですから、ベテラン1選手と若い選手3人が同じ金額なのであれば、チームのためには将来性のある選手のために投資するべきではないかとも考えました。そこで一つの目標として35歳までとりあえずやれたらいいよねと妻とは話をしていました。ちょうどそのタイミングで風間(八宏)さんがフロンターレの監督に就任して、その影響で僕のサッカー観もちょっと変わって。より個にフォーカスするようになったら、30歳を過ぎてもいい形で選手として伸びていったんです。33、34歳の時には、体力的にしんどいとか、動けないという状態ではなくて、むしろどんどん研ぎ澄まされていく感覚がありました。

それで35歳の時に、じゃあ次は40歳だよねって。目標の設定として5年間隔で。40歳まで続けられたらもう十分、理想的だと考えました。あとはチームの状況も35歳から40歳までの5年間で、ありとあらゆるものがそろっていたので。36歳でJリーグ・MVP、37歳で初めてリーグタイトルを獲得して、その時点でもういつでも悔いなくやめられるなと思えました。自分にとっても悲願でしたし、みんなの悲願でしたから。ファン・サポーターの方々もたぶん「中村憲剛と取る」と思っていてくれたはずです。自分でいうのもちょっと恥ずかしいんですけど(笑)。だからサッカーが嫌いになったとかではなくて、タイトルを取ったことで重荷はなくなったなという思いがありました。そこからは体の動く限り、試合に出続けられる限り、あと3年間思いっきり楽しめるなと考えていたら、2018年はリーグ連覇、2019年は(JリーグYBC)ルヴァンカップを取った。

最後と決めていた2020シーズンは何を目標にするべきかと考えていたら、前十字靭帯を切った。ああ、これはもうストーリーができたなと思いました。ケガを克服して、しっかりとした形でピッチに戻って、チームに貢献して、年末に引退する。天皇杯の優勝で締めくくれたらベストだと。そしてそれを実現できた。だから意外と今もまったく未練はないんです。選手としてやりきった感がすごくあるので。チームも僕がケガで離脱している間に、すごく強いフロンターレを見せてくれたので、もうこれは引退しても大丈夫だなと思えてすんなりと決断しました。

「俯瞰して客観的に自分を見ている」という共通点

[PROFILE]

中村憲剛(なかむら・けんご)

1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ・Frontale Relations Organizer(FRO)。久留米高校、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに入団。2006年から5年連続、2018年から3年連続でJリーグベストイレブン8回受賞。2006年に日本代表にも選出され、2010年FIFAワールドカップに出場。2016年にJ1史上最年長の36歳でMVPを獲得。2017年のJ1リーグ初優勝、2018年のリーグ2連覇に中心選手として貢献。2019年11月に左膝前十字靭帯損傷という大ケガを負うも、約10カ月間の長いリハビリを経て、翌2020年8月の復帰戦でゴールを挙げるなど3度目のリーグ優勝に貢献。同年11月に現役引退を発表。2021年4月、日本サッカー協会のロールモデルコーチ、グロース・ストラテジストに就任。新著『ラストパス 引退を決断してからの5年間の記録』(KADOKAWA)が6月30日に発売。

[PROFILE]

嵜本晋輔(さきもと・しんすけ)

1982年4月14日生まれ、大阪府出身。バリュエンスホールディングス株式会社 代表取締役社長。関西大学第一高校卒業後、2001年にJリーグ・ガンバ大阪に加入。2003年のシーズン後に退団。2004年にJFL・佐川急便大阪SCで1シーズンプレーしたのち22歳で現役引退を表明。2007年に実兄2人と共にブランド品に特化したリユース事業「MKSコーポレーション」を立ち上げ、同年にブランド買取専門店「なんぼや」をオープン。2011年株式会社SOU(現バリュエンスホールディングス株式会社)を設立。2018年に東証マザーズ上場。現在はサポートや寄付等を目的としたスポーツオークション「HATTRICK」をはじめ、アスリートのデュアルキャリアを支える取り組みを進めている。著書に『戦力外Jリーガー経営で勝ちにいく 新たな未来を切り拓く「前向きな撤退」の力』(KADOKAWA)がある。2021年6月に公式noteアカウントを開設。

リンク元

Share Button