堂安律へ「シュートは端の下」教え込んだ小学校時代の恩師の望みは「金」

<支える力>

東京オリンピック(五輪)日本代表の10番を背負うMF堂安律(23=PSV)は、小学校卒業までの8年間「クーバー・コーチング・サッカースクール尼崎校」(兵庫・尼崎市)に通っていた。別のチームにも所属しながら、ここでは主に技術に特化した指導を受けた。“虎の穴”ともいえる同スクール代表の鈴木大人(ひろと)氏(49)に、堂安の知られざる育成法について聞いた。

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堂安が幼稚園時から8年間通ったクーバーは基本的にドリブル、フェイント、シュートなど技術面に特化した指導を行うスクールだ。別に所属したチーム(スクール)では試合など実戦で鍛えられ、週に1、2度通うクーバーでは、鈴木氏から技術を教え込まれた。

「律が小4の時点で、僕は他の子と能力が違っているのを感じました。例年以上にレベルが高かった6年生と、2学年違う律が対等にやっていた。体は決して大きくないが転ばない、けがもしない、ものおじもしない。大人と普通に会話ができる子でした」

そんな有望な少年に、鈴木氏が教え込んだのはシュートを蹴り込む場所。合言葉は「端の下」だった。

「シュートは力任せで打っても、うまいGKにはじかれてしまう。とにかくGKに手を使わせない、手の届かない『ゴールの端の下』を狙って打てとアドバイスした。ダーツの感覚で、ただ1点を狙って打つ方が精度が上がるんです」

ゴール枠内の数百分割されたネットの端の下を標的にした。四角形の編み目の1つ、2つ分を狙う感覚で技術を磨いた。

「律には(シュートは)パワーよりも正確性だと伝え、(利き足の左だけでなく)両足とも同じように使えるようにと常々言っていた。それを今、律は体現してくれている。うれしくてつい、子どもたちに『堂安のゴールを見たか?』と言ってしまいます」

鈴木氏の教えを凝縮したようなゴールが昨季、ビーレフェルトに移籍した直後の20年10月17日、絶対王者バイエルン・ミュンヘンから決めたブンデス第1号ゴールだった。

ゴール右前でフランス代表DFパバールと1対1になり、利き足の左で蹴ると見せかけ、右足で股を抜くシュートを放つ。その先にドイツ代表ノイアーが待ち構えたが、左ポストに近い“端の下”に蹴り込んだ。今月12日のホンジュラス戦では2発とも右足で決めており、当時の助言がプロ生活の基礎になっている。

「律には五輪では金メダルを取る要のプレー、律がいたから試合に勝ったというプレーをしてくれと、重圧をかけました。コロナ禍の中、子どもたちのためにも起爆剤になってほしいのです」

精密機械のようなシュート力で堂安が2列目から得点を量産すれば、日本の金メダルの可能性はグンと高くなる。

◆堂安律(どうあん・りつ)1998年(平10)6月16日、兵庫・尼崎市生まれ。2人の兄の影響でサッカーを始め、西宮少年SSからG大阪ジュニアユース、ユースを経て高3時に飛び級でプロ契約。17年7月にフローニンゲン、19年8月にPSV(いずれもオランダ)、20年9月に期限付きでビーレフェルト(ドイツ)へ。17年U-20W杯代表、18年9月のコスタリカ戦で日本代表デビュー。国際Aマッチ通算20試合3得点。172センチ、70キロ。

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