G大阪・橋本篤マネジャー「初心を忘れぬよう」 運命変えた就職雑誌を今でも手元に

【ピッチ外のスペシャリスト G大阪・橋本篤マネジャー】

マネジャー一筋21年のG大阪・橋本篤さん(48)は一冊の就職雑誌と一着の練習着を大事に保管している。「初心を忘れないように」という意味だ。

96年に関西の大学を卒業。漠然とサッカー関係の仕事に就きたいと考えていたが、ツテもコネもなかった。「チームが多いのは関東。そこでキッカケをつくろうと思って」。大卒後にアルバイトでためたお金を手に上京。Jクラブとの接点を探る中、当時横浜Fのマネジャーを務めていた人を特集した就職雑誌を目にした。『マネジャーの仕事とは』、『マネジャーの1日とは』という内容。選手とは違うポジションながら、選手たちと一緒に戦う姿に胸躍った。

その後にアルバイトをしていたサッカー専門誌の早刷りで、G大阪のマネジャー募集の広告を発見した。「“これや!”と思いました」。すぐに履歴書を送付し、面談をパス。「大阪での面談から帰る当日の新幹線車内で連絡を受けて、メッチャうれしかったですね」。2、3日で荷物をまとめて東京を後にし、2000年から青黒軍団の一員となった。「今でもたまに部屋に飾って見返しています。就きたい仕事に就ける人は多くない。僕は幸せですね」 。G大阪で初めてもらった練習着の感動は忘れない。

業務はチームの移動行程表の作成、宿泊ホテルの選定、練習で使用する用具や備品の準備、ドリンクの用意など多岐にわたる。またACL初出場で1次リーグ敗退した06年の反省を生かし、08年には移動着をスーツからスエットへの変更を提案。ピッチ外の行動を快適にさせることで、クラブのアジア初制覇を“アシスト”した。

「先日のACLで戦ったタンピネス(シンガポール)に70歳のマネジャーさんがいたらしいんですよ。僕ももっとやらな、と」。入団当初の目標はタイトル10個獲得。ただ今は「できるだけ長く仕事をしたい」と生涯現場を希望する。「マネジャーはやりがいのある仕事やし、地位を上げたい」。橋本さんがマネジャー特集を読んで志したように、サッカーへの情熱を持つ若い子たちの道標になれればうれしい。

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