韓国代表デビュー狙うオ・ジェソク。「加地さんのおかげ」。ガンバで成長したDFの感謝 フットボールチャンネル 8月31日(水)11時0分配信

9月1日に幕を開けるワールドカップ・アジア最終予選。ロシア大会出場をかけた熱き戦いは、日本代表対UAE代表(埼玉スタジアム)の他に5カードが組 まれている。そのひとつ、ソウルワールドカップ競技場に中国代表を迎える韓国代表には5人のJリーガーが集結。出場すれば26歳にして初キャップを獲得す るDFオ・ジェソク(ガンバ大阪)は、感謝の想いを力に変えてキックオフの笛を待っている。

「日本で成長した姿をみんなの前で証明したい」

 最愛の家族、自らを成長させてくれたガンバ大阪、そしていまも敬愛してやまない大先輩へ。3つの感謝の想いを胸中に秘めながら、DFオ・ジェソクは母国・韓国に降り立った。

中国代表をソウルワールドカップ競技場に迎える、9月1日のワールドカップ・アジア最終予選初戦へ。悔し涙を乗り越えて韓国代表デビューを目指す26歳は、帰国前から武者震いを抑えきれなかった。

「ワールドカップ・ロシア大会につながる最終予選なので。試合を見るだけで日本へ帰ってくるのももったいないから、1試合でもいいので出場して、日本での4年間で成長した姿をみんなの前で証明したい」

西ドイツ代表としてワールドカップ・スペイン大会に出場した、ウリ・シュティーリケ監督に率いられる韓国代表に招集されるのは今回で2度目になる。レバノン代表をホームに迎えた今年3月のアジア2次予選へ向けて届いた吉報は、直後に悪夢へと変わってしまった。

韓国サッカー協会が代表メンバーを発表した3月14日。オ・ジェソクはガンバの一員として、上海上港(中国)とのACLグループリーグ第3節へ向けて敵 地に入っていた。しかし、好事魔多し。一夜明けた15日の一戦の前半35分に、左太ももを痛めて交代を強いられてしまう。

精密検査の結果は左外側広筋筋膜炎。戦線離脱とともに、同21日に合流する予定だった韓国代表を辞退せざるをえなくなった。凱旋帰国を心待ちにしていた両親へ、電話で無念の思いを伝えた。

「僕自身もショックだったし、両親も本当に楽しみにしていたと思うんですけど……。ただ、残念な思いを僕には伝えたくなかったのか、電話では『大丈夫だ よ。次があるから』と励ましてくれたんですけど、電話を切ったあとに母は泣き出してしまったと、後になって兄や姉から聞かされました」

ガンバ大阪加入時に立てた「誓い」

 関塚隆監督に率いられたU-23日本代表と激突したロンドン五輪の3位決定戦を制し、韓国サッカー界にとって初めてのメダル獲得に貢献したオ・ジェソク は、翌2013シーズンに韓国Kリーグの江原FCから完全移籍でガンバに加入した。このとき、ある“誓い”を立てている。

「ガンバで必死にプレーして、3年後にはA代表に選ばれるくらいの選手に成長したい」

努力を積み重ねた証として青写真を成就させただけに、オ・ジェソクが募らせた無念さは察するにあまりある。運命を恨みたくなる思いにも駆られたはずだが、韓国から応援してくれる家族が悲しみを共有してくれたことを知り、母の涙を再出発へのエネルギーに変えた。

約5ヶ月後の8月22日。中国代表戦と中立地のベイルートで行われる9月6日のシリア代表戦へ向けて招集された21人のメンバーのなかに、再び自分の名前が含まれていた。オ・ジェソクは再び家族へ電話を入れた。受話器の向こう側から、母は号泣しているのが伝わってきた。

「今回は特に母が喜んでくれて。家族の熱い応援に恩返しすることができました。ガンバに来て今年でちょうど4年目。いろいろなタイトル獲得を経験できたこ ともあるけど、素晴らしい選手たちと一緒に練習しているだけで、自分が成長している姿を確認することができた。本当にいい時期に代表に選ばれることができ て、ガンバの監督、スタッフ、そしてリームメイトたちにも感謝の思いでいっぱいです」

ガンバでは2年目の2014シーズンから台頭。屈強なフィジカルを生かした守備力を武器に、左右両方のサイドバックを務められるユーティリティーさで、同シーズンの国内三冠独占に大きく貢献した。

ともにハリルジャパンに選出された実績をもつ右サイドバックの米倉恒貴、左の藤春廣輝と熾烈なポジション争いを演じられる存在になるまでの軌跡を、オ・ジェソクが加入した2013シーズンから指揮を執る長谷川健太監督はこう振り返る。

「韓国ではどうしても人への強さを求められるんですけど、日本に来てからまずチャレンジ&カバーという動きを覚えましたよね。なかでも一番変わっ たのは、何でもかんでもバンバン攻め上がっていたのが、非常にタイミングよく上がるようになったこと。加えて、やはり外国人選手ですから当初はいろいろと 苦労しましたけど、本人がそういうものを乗り越えたことで、精神的にもたくましくなったと思います」

けがへの怖さを乗り越える

 代表合宿前の最後のリーグ戦となった、27日の湘南ベルマーレとのセカンドステージ第10節。オ・ジェソクは一種のトラウマを抱えながら、雨が降る敵地で右サイドバックとして先発している。

またけがをしてしまうのではないか――。実際、濡れて滑りやすくなったピッチは、けがをするリスクが高まっていた。ベルマーレの選手だけでなく自分自身とも、オ・ジェソクは戦っていた。

「3月も代表に選ばれた直後にけがをして、監督やスタッフを含めた全員が僕に対して申し訳なさそうな顔をしていたので……代表に選ばれた嬉しさもありまし たけど、それ以上に(ベルマーレ戦では)けがをすることへの怖さもあった。それを乗り越えた自分自身を褒めてあげたいですね」

ベルマーレ戦は開始わずか3分で先制を許した。J1残留へ向けて死にもの狂いで白星をもぎ取りにくる相手の迫力に押されていた流れを変えたのは、オ・ジェソクの右足だった。

前半26分。ハーフウェイラインのやや後方から、絶妙の縦パスをベルマーレの最終ラインの裏へ通す。降りしきる雨で滑りやすくなったピッチの影響でボー ルはバウンドしてからさらに伸び、FW長沢駿が走り込んでいった地点にピンポイントで落ちてくる。ネットを揺らした鮮やかなダイレクトボレーが、逆転勝利 への呼び水となった。

実はベルマーレ対策として、最終ラインからの縦パスを念入りに練習していたとオ・ジェソクは明かす。

「相手の最終ラインは前へ、前へと激しく来るので、それを利用して裏を狙おうと。練習通りのタイミングでシュン君(長沢)が背後に抜け出してくれました。 雨で芝生が濡れている条件まで考えて、ワンタッチでパスを出しましたけど、それがゴールにつながって本当によかったです」

後半19分に再び長沢がゴールをゲット。虎の子のリードを、後半終了間際からはDF西野貴治を投入して3バックとして死守する。右サイドバックから右ワ イドへポジションを変え、フル出場したオ・ジェソクは試合終了を告げるホイッスルを聞いた瞬間、夜空へ右手を2回突き上げている。

「いまの僕があるのは加地さんのおかげ」

 勝ち点22で首位に並んでいた川崎フロンターレと浦和レッズがともに敗れ、勝ち点で2差に肉迫する価値ある白星。しかも、ガンバは両チームとの直接対決 を残している。セカンドステージ制覇への可能性をも膨らませた長谷川監督は、目を細めながらオ・ジェソクへエールを送っている。

「今日も最後はへばっていたので、(けがが)心配になったんですけど。いまやれていることが評価されて代表に選ばれたと思いますから、機会があれば自信をもってプレーして、帰ってきてほしい」

ガンバにおけるリーグ戦の出場歴を振り返れば、J2を戦った2013シーズンは5試合しかピッチに立っていない。アキレス腱を負傷したこともあるが、この時期が長谷川監督をして「外国人選手ですから当初はいろいろと苦労した」と言わしめるのだろう。

「日本語の勉強もしていなかったし、正直、僕はいつも一人でした」

オ・ジェソク自身も苦笑いしながら振り返ったどん底の状態で、気にかけてくれたのが加地亮(現ファジアーノ岡山)だった。ちょうど10歳年上で、右サイドバックというポジションも重複する元日本代表を、オ・ジェソクは「一生忘れられない人」といまも敬愛してやまない。

「同じポジションだから競争もあるのに、加地さんは自宅で開催したBBQパーティーに僕を呼んでくれたんです。両親が来日したときには加地さんが経営する レストランでもてなしてくれたし、髪の毛を切りたいけどどこに行ったらいいかわからなくて困っていたときにも、加地さんが経営するヘアサロンを紹介してく れた。本当に僕を支えてくれたし、だからこそいまの僕があるのは加地さんのおかげでもある。最終予選では加地さんのためにも頑張りたい」

BBQパーティーにはガンバのチームメイトも数多く招待されていて、オ・ジェソクが溶け込むターニングポイントのひとつになった。言葉を含めた文化や風習の壁に直面し、本人をして「あまり頑張っていなかった」と言わしめた時期から一念発起するきっかけにもなっている。

韓国代表での主戦場は左サイドバックか

 例えばクラブハウスへ姿を現す時間。練習開始までに余裕をもって到着するように心を入れ替えたが、常に加地が一番乗りだったという。身体のケアを含めて 練習に取り組む姿勢と、チームメイトに対して分け隔てなく優しく接する姿。加地の背中が、日本におけるオ・ジェソクの“羅針盤”となった。

加地は2013シーズンあたりから、チャンスが来たときには海外でプレーさせてほしいとフロントに要望していた。ガンバの黄金時代を支えた功労者の想い をフロントも尊重していたところへ、2014シーズンの夏にMLSのチーヴァス・USAから完全移籍でのオファーが届いた。

おそらく加地はオ・ジェソクのポテンシャルを見抜き、ガンバの右サイドバックを支える一人になってほしいと思っていたのだろう。ワールドカップ・ブラジル大会中に開催された送別会の席で、加地はオ・ジェソクと米倉に対してこんな言葉を残している。

「オレのポジションは、これからお前たち2人が争え!」

左太ももの負傷で代表初招集を棒に振った3月も、すぐに加地と連絡を取っている。

「加地さんは『もったいないけど、まだまだチャンスがある』と励ましてくれました。今回はまだ連絡していないんですけど、ワールドカップ予選を終えて、日本へ帰ってきたら電話します。その意味でも、最終予選のピッチに立ちたいですね」

シュティーリケ監督の構想では、オ・ジェソクを左サイドバックの候補として招集したという。

「Kリーグでプレーしている選手ともう一人、FC東京から中国の広州富力に移籍したチャン・ヒョンスとポジションを争うと思う。チャンは以前はセンターバックでプレーすることが多かったけど、最近は左右両方のサイドバックを務めているので」

ワールドカップ・ロシア大会出場をかけたアジア最終予選のグループAには、韓国、中国、シリアの他にイラン、ウズベキスタン、カタールが入った。9大会 連続で、アジア地区では最多となる10度目のワールドカップ出場へ。日本で心技体を磨き、韓国代表に食い込むまでに成長したJリーガー・オ・ジェソクは武者震いを抑え、感謝の想いをエネルギーに変えながら中国代表戦のキックオフを待っている。

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